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1995年から2018年、東京が私に与えたチャンスと試練

初めての上京:1995年

1995年の終わり、高校3年生だった私は初めて一人で東京に足を踏み入れた。当時、東京に行くことは私にとって大きな冒険だった。兵庫県姫路市という小さな街で育った私にとって、東京はあまりにも巨大で、想像もつかないほど活気に満ちた都市だった。上京するということは、未知の世界に足を踏み入れる感覚が強かった。

東京に到着してまず驚いたのは、街の大きさと人の多さだ。東京駅に降り立った瞬間、まるでアリの巣のように動く無数の人々の波に圧倒された。高層ビルが立ち並び、車がビュンビュンと走り、街は終わりなく続くかのように感じられた。そのとき感じた高揚感と緊張感は今でも鮮明に覚えている。何をするべきか、どこに行くべきか、特に決まっていなかったが、自由を感じたのだ。

その日は市ヶ谷のホテルに荷物を預けた後、特に目的があるわけでもなく、ただ街を歩き回り、東京の雰囲気を肌で感じた。渋谷のスクランブル交差点で見た無数の人が一斉に渡る光景や、原宿で目にした若者たちの独特なファッション、どれも姫路では見ることができないもので、私の心に深く刻まれた。

※東京滞在中、中澤一先生の講義を上智大学にて受講した。

受験のための上京:1996年

次に東京に来たのは1996年の受験のときだ。このときの上京は、単なる冒険ではなく、人生の大きな選択がかかっていた。私は早稲田大学を目指していたため、東京での試験は非常に重要だった。新幹線に乗って東京に向かう途中、心の中では不安と期待が交錯していた。東京という大都市での受験に挑むこと自体がプレッシャーだったが、それ以上に「自分は東京で通用するのか?」という問いが頭をよぎった。

試験当日は緊張の連続だった。早稲田大学での試験会場は広大で、受験生たちがあまりにも多く、まるで迷子になりそうだった。姫路の小さな教室で育った私にとって、東京のスケールは異次元のもので、圧倒される気持ちが強かった。それでも、自分にできる最善を尽くして試験に挑んだが、結果は思うようにはいかなかった。初めての東京での受験は不合格に終わり、失意の中で姫路に戻った。

2度目の挑戦と平成最後の上京:1997年

1997年、早稲田から慶應に志望校を変更し、再び東京に挑戦した。私にとっては再び新たな夢を追うチャンスだった。この年の上京は、1年の悔しさを糧にした新たな再挑戦の旅であった。1年前の経験があったため、東京の街に対する恐怖感は薄れていたが、それでも受験に対するプレッシャーは相変わらず大きかった。

2度目の東京での受験は、前回の失敗を教訓にし、より冷静に挑むことができた。しかし、それでも結果はまだ見えないまま、先に大学生活を送っていた、高校の同級生の家を転々としながら東京で時間をやり過ごした。10代最後の年という節目に自分の将来がかかっていると感じ、東京での経験は私にとって重要なターニングポイントとなった。

10数年ぶりの再上京:2018年

それから時が経ち、私は平成最期の秋、2018年9月に10数年ぶりに再び東京に戻ることとなった。この時の上京は、かつての若々しい冒険心とは異なり、仕事や新たなビジネスチャンスを探るための旅だった。大人になり、経験を積んだ私は、以前とは異なる視点で東京を見ていた。

東京の街並みは、私が初めて訪れた頃と比べてさらに発展し、高層ビルや新しい駅が次々にできていた。しかし、かつての感動や驚きは薄れていたものの、私はこの大都市で新たな可能性を感じていた。2018年の東京は、私にとってビジネスやネットワーキングの場であり、新たな挑戦をする場所となっていた。

この上京では、これまでの自分の成長を感じると同時に、かつての自分が感じた恐怖や不安が過去のものとなったことを実感した。東京という巨大な都市に圧倒されることなく、自分の道を歩むことができるようになったのだ。

結び

私にとって東京は、ただの都市ではなく、人生の節目ごとに訪れる場所だった。初めての上京から、受験の失敗、そして仕事としての再上京まで、東京は私に様々な感情と経験をもたらしてくれた。これからも東京は私にとって挑戦の場であり続けるだろう。

#上京のはなし #東上


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