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第29回 コレクティブハウスに住む若者は何を感じ、どう考えているのか

今回は、建築というハード面ではなく、そこに住む人について考えてみる。僕はあえて大きさの異なる5戸を建設し、既存の母屋をリノベーションして、そこを主にコモンスペースとするコレクティブハウスとしようと考えている。コレクティブハウス自体については既に書いたが、今回はそこに住む住人がどんな思いで暮らしているのか、どういう種類の人が住む傾向にあるのか、そしてそれが持つ現在の日本にとっての意味を考えてみたい。

SYNODOSという有料電子メディアが4回にわたって「コレクティブハウスで生きる若者たち」という記事を連載し、20代〜30代前半の住人2人(AさんとB
さん)と住むことを考えている1人(Cさん)へのインタビューを行っている。それを参考にしたい。

記事は若者が対象ではあるが、それ以外の世代にとっても参考になると思う。

1)なぜあえて一人暮らしではなく共同生活を選ぶのか?

かつては、家族のもとを離れ一人暮らしをすることは、一種の憧れだった。誰に気兼ねするでもなく、すべて自己完結(お金はともかく)できる開放感は僕にとって格別だった。(半端ではあったが)「自立」は成長を促すとも考えていた。

ただ、当時はまだ生活する上で、一人暮らしには不便なことも多かったように思う。しかし、現在そうした不便さはほとんどなくなり、一人で生活することがどんどん容易になってきている。そうした時代において、自由を謳歌したいはずの若者が、あえてなぜ他者と暮らしたいのか?

「自分の生活のリズムを崩さず、自由に生活することが好きな人もいますよね。ですが、他の人と共同で何かをしている暮らしの方が自然だなと私は思っています。(・・・)このような暮らしは面倒くさい部分も多いですが、そういう面倒くささが一切ない生活にも違和感がありますね。」(Aさん)

「(一人暮らししない)一つの大きな理由としては、洗濯機や冷蔵庫といった家電を所有したくなかったからです。単身者用の家電を買うことが、とても勿体ないと思ってしまうのです。狭い部屋では家電だけで場所を取られてしまいますし、処分するにも手間がかかりますよね。」(Aさん)


コレクティブハウスかんかん森の洗濯室

「実家から独立して一人暮らしをしようと思い、住まいを探し始めました。食べることが好きな私にとっては、一人でご飯を食べる一般的な一人暮らしが少し寂しく感じました。誰かと一緒に食事をするなど、他の人と交流できる住まいがないかと悩んでいました。」(Bさん)

「端的に寂しいなあと思います。一人の時間には慣れていますが、やはり寂しさは残りますね。あと一人暮らしですと、自分でご飯を作ることがないですよね。健康面についても不安になります。今の暮らし(一人暮らし)は自由で楽ですが、人間としてこの生き方は楽しいのだろうかと疑問には思っています。(・・・)健康で生きていられるだけでありがたいことなのですが、今は完全に自分だけのために生きています。本当にこれでいいのだろうか、と思うことはあります。どのような人間も一人で生きていけるように社会は進化してきていて、今はその最終形態を迎えつつあると思います。ですが、利他や隣人愛、そういうものに触れる生活があってもいいのではないかと感じています。」(Cさん)

かつて(スマホもなかった!)に比べ、家族の縛りが緩くなっている現代において、一人暮らしは「解放感」や「自由」、「自立」の手段ではなくなっている気がする。社会全体に「寂しさ」が蔓延しており、「ひとり」のメリットよりデメリットの方が上回る若者も確実に存在する。そうした人にとっては、かつては多くが自己完結できることは満足に結びついたが、今は自己完結よりも(家族以外の他者との)「つながり」を基盤にした生活の方が好ましいようだ。それが、「他者を介さない自己完結できる自由な生活は果たして幸せなのだろうか?」という疑問につながっているのではないか。

それは、社会的生き物(サピエンス)である人類にとって自然なこと。本当の「自立」とは、他者を必要としないのではなく、多様な他者とともに「共生」できる力を持つことだ。自己完結をよし(地縁血縁の縛りからの反動ゆえ)としたかつてが不自然だったのであり、正常に戻りつつあるようにも思える。

また「単身者用家電を所有するのは不合理」との意見も、至極真っ当だ。所有すること(特により個別に)に喜びを感じるのは高度成長期のメンタリティであり、成熟してシェアリングエコノミーが浸透する現在においては、一人一台の設備は不合理だと僕も思う。

過去に縛られず時代の変化に敏感な若者が、一人暮らしを避けて共同での住まいを選ぶようだ。

2)なぜ、他の共同生活形態ではなくコレクティブハウス なのか?

一人暮らしに疑問を持ったとても、シェアハウスやソーシャルアパートメント(交流に重点を置き共有施設を設けるリアルSNSのイメージ、専門会社が運営)ではなく、なぜコレクティブハウスなのか?

「シェアハウスは、もう少し若ければ選んでいたと思います。29歳になれば、そこまでどんちゃん騒ぎはしませんよね。ある程度、落ち着いて静かに暮らしていきたいなと思います。(・・・)ソーシャルアパートメントは、居住者が多すぎるがゆえに交流ができず、一人暮らしとあまり変わらないのかなという印象を持ちました。」(Cさん)

「私が住んでいたシェアハウスでは話し合いの場がないため、有意義な交流も生まれ難かったです。ネチネチとした嫌な感じのコミュニケーションが育まれてしまうこともありましたよ。シェアハウスに住んでいた時は、ただ他人と一緒に住んでいるだけという感じでした。」(Aさん)

「シェアハウスは水回りの設備を共有で使わなければならない物件が多いです。全ての設備が共用という部分、特に人とトイレを共有するということに抵抗感がありました。(・・・)自分が納得できる価格帯であり、個人の生活が不自由なく送れる住戸と人と交流ができる場所が揃うコレクティブハウス を選びました。」(Bさん)

「平日は仕事をこなすだけで疲れてしまうので、自分の部屋で過ごすようにしています。自分の部屋に引きこもりたいときは、引きこもって全く問題ないです。(・・・)休日も平日と同じく、居住者の方と交流しない日も多いですね。」(Aさん)

一人になって孤独を楽しむ、すなわち自分自身との対話は不可欠なようだ。そうした内省の時間が取れるがゆえに、他者とフェアな関係を結ぶことができ、またそれを楽しむこともできる。こうした、空間と時間の両面で、「個」と「集団」を自分にとって好ましいバランスに設定できることが、コレクティブハウスを選ぶ理由のようだ。

3)コレクティブハウス の特徴の一つに自主管理があり、それなりの負担がある。それについては、どう感じているのだろうか?

一般に賃貸住宅では専有スペースだけを借り、共有スペースは管理会社へ管理費を支払って管理を委託する。コレクティブハウスでは、共有(コモン)スペースが占める比率が高く、そこは住民で構成される管理組合が管理する。また、共同生活に必要な活動を住人が分担し担当する。月一回の定例会で、さまざまな話し合いがなされる。管理会社に丸投げするのではなく、住人が自主管理するのは、なかなか大変なことだ。

「最初は、イメージ通り大変でした。住み始めて三ヶ月くらいは、少し緊張して暮らしていたような気がします。ですが、暮らしていくうち徐々に慣れてきて、力の抜きどころがわかってきましたね。暮らしというものは、住み始めたら、なんとなくそこに適応できていくものなのかもしれないです。(・・・)他の人と関わることで、小さな価値観が変化していくのも悪くないですね。もちろん面倒くさいと思い続けることもありますが、意外とこういうのもありだなと自分の幅が広がっていく感覚は楽しいです。自分の許容範囲が広がっていくのは、豊かだなと思います。」(Aさん)

「(大変なのは)全員の意見に耳を傾け、自分の主張もしつつ、全員の合意を取りながら物事を進めていかなければならないことです。それぞれ感じ方や考え方、価値観が異なるため、物事を進めたり、合意を取ったりすることがとても難しいです。(・・・)会社の仕事であれば、ある程度効率的に物事を進めることが求められますよね。コレクティブハウスでは、効率性より全員が納得した形で物事を進めていくことが一番大事です。(・・・)ただ、自分の暮らしを面白くするために何かを提案して、時間がかかっても実現できるのは、この生活の面白いところです。大勢を巻き込んでワイワイと新しいことを行うのは活気があって楽しいですよ。(・・・)どのように暮らしに関わっていくのかを決め、自分がパンクしない範囲で付き合っていく、ここでの生活は、このように過ごすのがいいと思っています。」(Bさん)

コレクティブハウスかんかん森 テラスの菜園


確かに負担は感じているものの、それを自分の成長の機会や、賃貸でありながら自分の意志で暮らしを快適にすることができる可能性があると前向きに捉え、集団での合意形成のプロセスも楽しめるような人が、コレクティブハウスを選んでいるように思える。

他者との暮らしにおいて、安全も信頼も大切だ。どちらも「相手は自分にひどいことをしないだろう」という期待を持つことだが、安全と信頼は異なる概念だ。「安全」とは「相手は自分にひどいことをすると損をするのでしないだろう」との期待(国家安全保障がまさにそう)であり、「信頼」とは「相手の人格や相手が自分に対してもつ感情についての評価」に基づく期待。日本のムラ社会では、村八分のような「安心」が維持されるメカニズムで担保されているが、「信頼」構築は不得手だ。我々日本人は、信頼構築能力が低いと言われている。信頼構築には手間がかかる。コレクティブハウスで自主管理をすることとは、苦手な信頼構築を実践しながら学ぶことなのかもしれない。

コミュニティでは、他人に無理やり力で言うことを聞かせることはできないため、一般に多数決は採用されない。コレクティブハウスでも定例会で多数決はとらず、全員が合意するまで話し合いは続けるそうだ。考えてみれば、多数決とは何と楽な制度だろう。

4)コレクティブハウスでは多様性が重視される。年齢含め自分との違いが多い住人たちと暮らすことに抵抗はないのだろうか?

「(一番惹かれたのは)日常の中で、他世代の人とお話できることですね。見学中に人生の諸先輩方とお話しして、『人生いろいろあるわよ』とおっしゃっていただきました。(・・・)辛いときにそれでもなんとか生きてきたという人が周囲にたくさんいるため、自分の視界がちょっとクリアになるような気がしています。」(Cさん)

「実際に子育てをされているご家族をみて、『ああ、こういう感じなのか』とイメージが沸きました。(・・・)もし子育てをすることになった場合、こういうふうにすればいいのかと、近くにロールモデルがあるのはとてもありがたいなあと思いました。」(Cさん)

「コレクティブハウス での人間関係は、仕事の同僚でもなく、趣味を通してできた友達とも異なりますね。(・・・)いろいろな人が暮らしているため、すぐ打ち解けられるような人ばかりでもありません。ただ、それでも一緒に何かを共同で行ううちに、その人の性格や考え方などがだんだん分かってきます。共同生活を通して、徐々にお互いを知りながら、少しずつ歩み寄っていく。不思議な人間関係だなあと思います。」(Aさん)

「趣味が全く異なる人と住んでいるからこそ、新しい物事に触れられて楽しいですね。一人暮らしでは、家事も仕事も趣味もすべて自分のペースで行えますよね。自由な部分は魅力ですが、暮らしに変化が起きにくいにかなあと思います。」(Aさん)

「暮らしに関する小さな価値観の違いがストレスになることは多いですね。それぞれが異なる環境で生きてきたのでどうしようもないことですが、価値観の違いに直面した時がやはり一番大変ですね。どのくらの部屋の状態を綺麗と思うかの差異が、問題になりやすい部分ですね。」(Aさん)

「ここでの生活を通して、意見がぶつかった時は、大きな溝を生むことなく、なんとなく折り合いを付けながら一緒に過ごしていくことが可能だと実感できるようになりました。」(Aさん)

「(実家暮らしとの違いは)育った環境や時代、これまで従事してきた仕事など、自分とバックグランドが異なる人たちと暮らすということが、一番大きな違いですね。(・・・)この暮らしの中での良い点としては、自分が知らなかった事柄を知るきっかけに出会えることです。様々なことを皆さんご存知ですから、人生の先輩としていろいろなことを教わっています。(・・・)あとは持ちつ持たれつのようなコミュニケーションができるのは良い点ですね。『三人寄れば、文殊の知恵』というように、それぞれの得意とする知識やスキルを共有し、日々の生活を一緒に築いています。誰かに相談して問題が解決することも少なからずありますよ。」(Bさん)


他者が自分と大きく異なるということには、関係構築が難しいという面と、異なるからこそ自分にないものを持っているのであり、そこからたくさんのことが学べるという、両面がある。たくさんのことを学ぶためには、難しい面と折り合いを付けていかねばならない。どんな局面においても、そういうスキルは必要だ。自分だけに閉じることなく、他者から学んだり他者に自分の知識やスキルを進んで提供できるような人がコレクティブハウスには集まっているようだ。


5)コレクティブハウスには、どのような人が向いていると考えているのだろう?

実際に住んでいる若者は、コレクティブハウスが、誰もが快適に暮らせるバラ色の住まい方だと思っているわけではない。やはり、向き不向きはあるようだ。

「多世代の方々と交流できたり、困ったときに助け合えたり、こういう部分は魅力的だなあと感じつつ、20代前半ぐらいまではやはり難しいのかなあと思っています。コレクティブハウスでの生活には、面倒くさいことが一般的な一人暮らしより確実に多いです。(・・・)暮らしの事柄に対して、自分の時間を割くことができるかが、この生活を選ぶかどうかの分岐点だと思います。(・・・)ある程度ご高齢で、時間に余裕のある方がコレクティブハウスの暮らしの中心になるのは当然かなあと思います。」(Bさん)

「(若者だとすれば)人とのつながりが少し欲しいなあと考えている、特に一人暮らしの方にはおすすめしたいです。一人で生活していることにつまらないと感じていて、なおかつ自分のプライベートな生活はしっかり確保したいという方にはぴったりだと思いますよ。」(Bさん)

「自分一人で完結する生活への違和感を持つような人にはおすすめしたいです。(・・・)他の人のこともちょっと考えて暮らす、そういう生き方が自分にはあっています。このような暮らしは面倒くさい部分も多いですが、そういう面倒くささが一切ない生活にも違和感がありますね。このような考え方もありだなと思ってくださる方は、ぜひコレクティブハウスで暮らしてみていただきたいです。」(Aさん)

「(コレクティブハウスへの入居は今ではなく、仕事や結婚についてじっくり考えて)それらを超えた段階で、コレクティブハウスへ入居するのかなという気がしています。その時の自分がどのような状態であったとしても、いずれはコレクティブハウスに住みたいですね。」(Cさん)

暮らしにある程度の時間や意識を向けられるだけの精神的余裕があることが、必要条件になりそうだ。その上で、住まい方を「他人まかせ」ではなく、主体的に徐々にでも快適なものにしていきたいとの意志を持っている人。そして、規則や監視による「安心」を潔しよせず、自ら「信頼」を構築することを厭わない人。

さらに、自分自身の考えを持ちながらもそれも拘泥せず、自分自身を他者に対して開くことができ、どんな他者からも何かを学びたいと考える人。一言で表せば、精神的に「しなやか」な人であろうか。年齢に関係なく、自分をしっかり持った成熟した人たちだと感じる。

これらは、日本人が最も苦手とするところだろう。入居時にこうした条件を備えた人は多くはないだろうが、共同で住むうちにこうなっていたいとの願望を、おぼろげでも持つ人なら向いているのかもしれない。


今後、ますます多様性が求められるだろう。そうした社会で生きていくための、実践トレーニングの場ともなり得るのではないか。そこで、信頼に基づいた相互依存する生き方を習得できれば、日本どころかグローバルでも活躍できると思う。


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