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1994年7月 真夏のこんな時期に発作的に京都 1

【まとめ】休みに急に京都に行きたくなり、一泊か二泊予定で出かける。京都の高台寺近くに泊れるお寺があると何かの記事で見て、電話でとりあえず一泊分予約。とんでもなく個性的なお寺だった。折しも宵々山ということで古都は大賑わい。蒸し暑い夜中は自分史上最高に寝苦しかった……
※ この時はびっくりするくらいイラストをあまり描いておらず、写真は撮ったと思うのだが一枚も残っておりません。出てきたら載せるかも。
ヘッダーもお借りした画像です。ありがとうございます。

7月16日(土)
朝早くから地元発。東海道線普通列車にて京都を目指す。
10:19 浜松→豊橋→岡崎→米原→
13:40 京都着
駅からバスに乗って、予約していた高台寺道の宿泊先へ。
月真院。朝食付きで三千円とのこと。

(※ 2024年現在、こちらのお寺は宿泊はできないようで、いっときは非公開となっていたようですが、普通の参拝や見学は可のようです。)

バスの中、後部座席に固まって座っていた男子高校生の声が妙によく聴こえてくる。
「かわいいのがええんと違う」と静かなる断定がまず耳に入る。澄んだ少年らしい声、京ことばなのかな? いいなあ、とつい耳をすませてしまう。どうも綺麗な声の少年は、友人らに淡々と恋バナしていた様子。
「……で、気がついたら、抱きしめとったんや」
「えええ」
なんかこっちが身もだえしそうなピュアっぽさだった。

月真院着。古びた木の門、入り口までの石畳、一見普通のどこにでもありそうな(でもそこそこ古い)お寺さん。

撮った写真が見当たらず、photoACより月真院入口
泊まったのは正面の二階部分向かって左側屋根裏

中は薄暗く、左の居間?のテーブルで、虫眼鏡を使って新聞を読むご住職が顔を上げた。キューピー柄のアロハに短パン、肌が白く、全体的に色素が薄そうなかんじ。先に立ってお寺の中を案内して下さるが、色んな話をしてくださる中で知ったのが
・目が悪い(盲学校卒業、と聞いた気が?)
・幼児服が好き(見たらすぐ判る)
・特注の三輪車やミニバイクが好きでよく乗り回している
・夕食は自前で何を食べてもいい、台所は自由に使ってくれていいし、このお寺に出前を頼んでくれても良い

以前、森村泰昌氏とこの方との対談を何かの本で読んでいたことがあり、ある程度は存じ上げていたが、やはりリアルにお会いするとかなり、不思議な方。静かな感じもするし、早口で情熱的でもある。
新選組を脱退した一派がここを屯所にしていたこともあった、とのことで、そのお部屋も見せていただく。不思議な絵やご住職の趣味のお洋服コレクションやミニバイクたちもついでに見せて頂いた。
先代の?ご住職もいなさる。肩に湿布薬を貼り、ちりめんぽい白い下着でカゲロウのようにあちこちを歩き回られていた。
宿泊の部屋は玄関上の屋根裏になった所、ふすまでふたつに分かれていて、道路側を貸していだたくことに。もう半分は別の方が予約済とのこと。
ちょうど訪問客あり。大柄な男性で中国からの高校教員らしく、自分の学校の修学旅行で宿泊場所を下見して歩いていたのだと。

宿も落ち着いたので、お寺巡りはせずに、あちこちうろつきたくなって出かけてみる。まずは八坂神社で神楽をみて、祇園のらんぷ(美術)館に行って御池~二条大橋の下まで川沿いを歩いてテキトーにバスに乗り、植物園の北まで行って北山から地下鉄に乗って国立近代美術館に行ってまたバスで駅に行ってから、バスで宿まで帰る。
どのバスでだったか、隣席の、みのもんたを渋くしたようなおじさんと話をする。二条にお住まいで呉からの帰りなのだそうだ。

お寺に帰ってから、誰も姿が見えず。数人は泊まっているようだが他の宿泊客に全く会わない。
とても喉が渇いて、お茶欲しさに台所に行き、勝手に冷蔵庫をあさる。作り置きのを少し頂く。お礼と言っちゃなんだが、流しに溜まっていた茶碗などを洗う。

明日の晩をどうしよう、夕方に京都在住の友人Mと会う約束をしてしまった。なのでもう一泊したいが、お寺は一泊しか取ってないし……と思いながらまた八坂神社まで出かける。お祭りの賑わいの中、急に後ろから声をかけられて振り向くと、アロハのご住職だった。遊びに歩き回っているらしい。
なんでこんなに賑やかなんですか? と聞いたら、宵々山だから、と。
えっ全然知らずに京都に来ていたよ。これだから素人はこわい。
明日の晩も一泊できるか尋ねたら、明日は予約でいっぱいで、すみませんけどなあ、と。残念だが明日また考えよう、と宿に帰る。
しかしデカいお祭りなので、明日の宿があるのだろうか……

宿の部屋は正面側の障子窓が開けられるので少しは風は入るが網がついておらず、虫も入る。
テレビはなく、部屋には冷房はなく、扇風機一台のみ。
隣の部屋の人はずっと電気をつけている様子で、ビニル袋をずっとガサガサさせている。そのうち、何度も小さな悲鳴を上げている。
どうも入って来た虫におびえていたらしい。もーいや!って半泣きだった。
その声も気にはなったけど、とにかく蒸し暑くて(ほぼ無風)、何度も寝返りをうつがほとんど眠れなかった。
扇風機がなかったら干からびていただろう。

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