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思った通りに出来るようになる事

私は「思った通りに出来るようになる」と幸せに感じる。出来るようになっていく過程が楽しいとも言えると思う。これは私が私の人生を生きる為に重要な事なのではないかと気がついた。

事務職の時はExcelを良く使っていた。ショートカットキーで入力作業が劇的に早くなる事に気づき、自分のよく使うショートカットキーを1つづつ調べて覚えて使うのが楽しかった。この作業のショートカットキーってないの?とネットで検索し、痒い所に手が届く、私にピッタリのショートカットキーを見つけてはニヤついていた。周りに布教しようとした事さえある。同僚にいたらちょっと面倒くさいやつと思われるかも知れない。当時の私にはこれが正義!って感じに思えていた。ショートカットキーを覚えていく事でより効率良く仕事を進める事が出来たが、それ以上に道具としてのExcelを上手く使いこなしている感覚に喜びを感じていたように思う。

職種が代わり今は現場で仕事をしている。現場は手作業が多く、段取りやコツを掴んで作業に熟練していくと作業を短時間で終わらせる事が出来、完成の出来栄えもバラツキなく美しくできる。私はまだまだ勉強中の身だが、だんだんと出来ることが増えていく事が単純に嬉しい。職人のような先輩方の手元は魔法のようにスムーズである。難しい事をしているのに、傍で見ていると簡単そうにスイスイやっている。その領域に私も行きたい。手作業は特に自分の身体を思い通りに動かせる事が重要と思う。

私は趣味で合唱をしていて、ソプラノ(女声の1番高音のパート)だが、ジェットコースターで悲鳴をあげる時くらい高い音を出す曲もある。つまり平常の身体の状態ではとてもじゃないが出せないのだ。指導の先生曰く「血管切れるような必死な感じで」高音を出す。喉も顔面もお腹、足も声を出す前に準備しなければ高音は出せない。高音を出す事と同時に、それを合唱で聴ける音質に整え、かつ音程を外さず、他パートや周りと合わせて歌うのだ。高音部分はもう本当に必死な身体の状態で、一方では頭では冷静に様々考えて調節をしながら歌う。合唱では「身体が楽器です。」とよく言われるが、これも身体を思った通りに使っている感覚である。

ただし「思った通りにできる」のは自分だけである。

他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。カナダの精神科医のエリック・バーンの言葉

他人を思い通りに動かすなど、そんなエスパーみたいなことが出来るはずがない。自分の子供の話になるが。子供は他人、と分かってはいる。でも私は自分の子供に、私の小さい頃にお気に入りだった本を読ませたかった。本当に全然、全く読んでくれない。児童書だから小学生低学年のうちに読んで貰いたかったのに。子供を私の思い通りに操作するつもりはない。私の身勝手な期待を子供押し付けてしまうのは嫌だ。私の思いばかり押し付けてしまうのは、きっと子供本人にしてみればウザったい母親だと思うに違いない。

何かをやろうとする上では、作業の熟練=自分の身体を思い通りを動かせる。という事だと思っている。人生を思い通りにしたければ、自分の身体を思い通りを使える事が大切だと思う。子供の頃から(いくつになっても)スポーツ、料理、工作、楽器演奏なんかで全身運動や手先の動きを鍛えておくと、人生でいざやりたい事を見つけた時に大いに役に立つと思う。お勉強もその中に含まれていると思う。だから、我が子にもスポーツやピアノを頑張って貰いたいのだが。やはり他人は思い通りにはならない。

歳を取ってからも同じだと思う。健康寿命を伸ばそう!とよく聞くが、自分でトイレへ行ける事、自分で歩く事、自分で食事を取れる事が高齢になってからでもできるのは本当に有難い。本人は元より、周りの家族などの介助の程度がかなり変わってくる。私の同居の大おじいちゃんが自分で大抵の事はできる状態だが、家族皆で本当に有難がっている。

大学時代の合唱サークルの部長が「身体は資本です」が口癖だった。「先輩、今なら私にも分かります!」当時合唱で歌った曲は未来予想図IIで

ほら、思った通りに叶えられてく

という歌詞があった。人生思った通りになんてなるのかな?と当時は疑って歌っていた。

日々の積み重ねが人生なのだけれど、"自分"の"未来"を思った通りに生きるというのはこういう事なのかもしれない。


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