自然についての戯れ言独り言

4月~11月の所謂スリーシーズンがキャンプ活動期である私にとって、今月からが今年初のキャンプ実戦となる。
という訳で早速、週末にキャンプに行って来た。

始めた当初はキャンプとは1泊2日が原則だと思い込んで実戦していたのだが、寒川一氏のキャンプ関連の本に出会ってからは2泊3日を徹底している。
正直なところ半信半疑ではあったが、やるべき事が山程あるキャンプに置いて、この2泊3日という時間の幅が中々馬鹿には出来ないという事を酷く痛感した。

キャンプの醍醐味が自然の中で何もせずにゆっくりと身を委ねる事だとすれば、なるべくその時間を享受する為に必要な作業は早めに終わらせないといけない。
全ての作業を段取り良く実施するには経験もそれなりに必要になるのだが、最初から時間的余裕が確保されている方が良いに決まっている。

そんな訳で今回も2日間、ビールを片手にダラダラと自然を感じる喜びを噛み締めながら非現実的な時間を堪能した。

キャンプの真髄は早起きしてコーヒー片手に朝日を拝む事にある(天気が悪いとテンションが下がるが)。

自然を見るという事は絶句するという事

人は何故キャンプをするのだろう?と思う。
私なんかは最近まで全く興味がなかったのに、ある日突然雷に打たれたかの様に「俺はキャンプ王になる‼️」と思い立って初めたのだが、こんな阿呆な例は稀有だろう。
(嘘だと思われるかも知れないが今が空前のキャンプブームと知ったのはキャンプを初めてからの事である)

となると、何故キャンプをするのか?と考えた時に辿り着くのは「自然の持つ力その物」ではないのかと思う。
自然を見ると何故か押し黙ってしまう。自然の持つ雄大さに圧倒されているからなのか、自然を見ると落ち着くのか、又は色々と想念が浮かんでくるのか判然としないが、何故か絶句してしまう。

『異邦人』の作者アルベール・カミュの師匠でもあるジャン・グルニエは自身の哲学エッセイの中で

菩提樹のかげにねそべり、ほとんど雲一つない空をながめていた私は、その空がゆれて、それが空白のなかにのみこまれるのを目にした。それは、虚無についての、私の最初の印象だった。

ジャン・グルニエ『孤島』「空白の魔力」

と書いているが、きっと自然の持つ力に圧倒されて絶句した後に虚無の印象をはっきりと自覚したに違いない。最も自覚した時が僅か6~7歳の時だったらしいから、ジャン・グルニエもかなりぶっ飛んでいたのだと思う。

別にぶっ飛んだ思考を展開しなくとも、自然を見て絶句するという事は自然という存在に対して見る者の心の何処かに畏敬の念がある事は間違いなさそうである。

今や空前のキャンプブームらしい。確かにブームのきっかけはコロナによる3密回避が原因なのかも知れないが、その一方で人々が持つ自然への回帰願望や自然の持つ力に魅了された事も根底にあるのかも知れない。

最後までお読み頂き有り難うございました。 いつも拙い頭で暗中模索し、徒手空拳で書いています。皆様からのご意見・ご感想を頂けると嬉しいです。