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「スロープ下」今昔物語(前編)

かつて私の会社には通称「スロープ下」と呼ばれる喫煙所兼休憩所があった。

あった。と過去形なのは何ヵ月か前に構内全面禁煙の憂き目に会い、喫煙所が閉鎖してしまったからだ。自販機は撤去されていなので休憩所としては何とか体をなしている状態である。

スロープ下が活況に沸いていた頃は毎日の如く会社のドライバー達が喫煙したり、コーヒーを飲みながら談笑したりと常に誰かしらがその場所にたむろしていたものである。

入社して間もない頃、1人の先輩に「スロープ下には近付くな」と釘を刺された事があった。勿論、理由など分かるはずもない。

その先輩曰く、「会社の良からぬ人間達が社内のキナ臭い噂話を何時もしている」らしい。恐らく先輩は「お前も噂の被害に巻き込まれたくなければ近付くな」という意味で言ったのかも知れない。

確かにスロープ下には、いつも何人かのグループが固まって座って話しているので異様な雰囲気は嫌でも感じた。しかもその中には強面の人間もいたので、より一層近寄り難い。

人間の持つ先入観と想像力は偉大なもので、先輩から植え付けられたその一言と自分が見た光景とが合わさって、スロープ下は瞬く間に魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿と化してしまった。

しかしながら近付くなと言われれば余計に気になるのが人間の性である。自分自身の顔を覚えてもらうという理由で毎日スロープ下を足繁く通い詰める事にしたのである。

実際に通ってみると、先輩が懸念した状況とは全く違って色々な人が話す多様な雑談で盛り上がる事が多く、自分の中での伏魔殿というイメージは次第に和らいでいった。

確かに当初抱いていた伏魔殿のイメージは払拭出来たのだが、最初に気になっていた伏魔殿に巣くう強面の先輩とは話す機会が無く、「噂話の真犯人なのでは!?」と勝手に思い込んでいたりもした。

スロープ下での空気に馴染んでから4年くらい経過した辺りだったろうか。ある時から楽しかったスロープ下の空気に違和感を感じ始めていた。何故か?

私は入社とほぼ同時期ぐらいに本を読み始めていたのだが、様々な本を読んでいく内にスロープ下での会話が段々と空疎なものの様に感じるようになっていたのだ。

生活とか仕事とか身近な話より、もっと思想的な、文学的な、哲学的な、とにかく何でも良いから深い話がしたい❗


今思えば、病気とも言える異常なまでの観念的対話への渇望。今までの惰性でスロープ下には通っていたものの、心中穏やかではなく悶々と過ごす日々であった。


しかし以外にも早く転機が訪れる事になる。


それは1人の先輩との出会いからだった。


その先輩とは、あの伏魔殿に巣くっていた寡黙で強面の正にその人だったのである。

~後編に続く~

最後までお読み頂き有り難うございました。 いつも拙い頭で暗中模索し、徒手空拳で書いています。皆様からのご意見・ご感想を頂けると嬉しいです。