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林城 落城

林城

茨城県 鹿嶋市 林
常陸平氏大掾流 鹿島成幹の六子
頼幹(よりもと)。
鹿島郡  林村に居住し林六郎と称する。

落城

1591  (天正19年)2月、当主 林清貞は
常陸太田城主 佐竹氏に招かれ林城を発ち家臣と共に太田へ向かった。

札の渡し場(鉾田市)で舟を待っていたところ、突如 家臣の荒原五郎左衛門が背後から襲いかかり、清貞の脚をなぎ倒し殺害してしまった。
(写真は清貞終焉の地 渡し場跡)

その頃林城では、清貞の奥方が実家の中居城へ帰された。
二人の幼子は米俵に隠され、馬で女中達と逃げる途中、神向寺(鹿嶋市)辺りで追って来た家臣によって命を奪われてしまう。
その後、家臣達は暴徒と化して寺を焼き、墓石を破壊するなど狼藉の限りを尽くしたとの伝承が残っている。
その為、詳細な記録が焼失したという。

この地域の城は、「南方三十三館」と呼ばれる。
天正19年2月9日、主要な領主達は常陸太田近辺で佐竹氏によって殺害され、その居城は佐竹家臣によって攻め落とされた。

林城は自滅したように思えるが、佐竹氏の謀略とも言われている。

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