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もしかして怒ってる 9/30

メイクキープパウダーを使うようになっておでこのテカテカも無事解消されましたし、恥を忍んで歯医者に行ってしっかりゴミのような歯のレントゲンを撮影していただきました。8月の私はもういないんだぜ。あばよ!

9月も終わってしまう。あっという間だった。
思うようにいかないことは多くて、周りには賢くて気が遣えて美しい三拍子揃いまくりのとんでもねえ人間が多くて、なんなんだよ!クソが!と思ってしまうけど、ちゃんと考えていくと全て自分が悪いことに気づいてさらに死にたくなる、そんな9月でした。
いや、8月よりダメじゃん。歯医者行けたことだけがせめてもの救い。しいたけ占いなら、読み心地が良いだけの薄っぺらい励ましで華麗にフォローしてくれることでしょう。今もまだ、しいたけ占いにイライラしてる人間あんまりいないかもな。


嫌なことに対して、怒りを感じられているようで感じられてなかったことに最近気づきました。

「怒りを感じていたことに後から気づいた」系のエピソードに対して、自分に関してはそんなことないな、友達に要らんことまで共有してしまうし、一緒に愚痴言ったりするし、、と思っていたけど
話をした相手が怒ってくれてから、「あ、この事象ってやっぱ怒っても良いんだよね」と確認して、そのあとにしっかり怒りを出せる節があるなと今更ながら気づく出来事がありました。

私は苗字が珍しいために変換がしづらく、ビジネスメールでもカタカナやひらがなで表記してくる人がいます。「タナカ様」のような感じで。

いつもカタカナ表記でメールを送ってくる人がいて、どうでもいいことだけどそれだけで自分の存在が軽んじられていることが伝わってきて、でもそんなことで怒るのもしょうもないし、気にするほどのことでもないなと思って黙ってスルーしていた。でもカタカナのメールを見るたびに心がざわざわしていた。
たまたま私宛のメールを見た同じ部署の先輩が「人の名前漢字で書かないの流石にありえないし失礼ですよ」と本人に直接指摘してくれて、「ああ、私ももっとはっきり怒って良かったのだ」と思った。
人の反応を確認してからじゃないと怒りを出せないってダサい。もう少し勝手に振る舞ってもいいのかもしれない。瑣末なことでも、自分が気になるなら怒っていいのかもしれない。
そういうことを少し実感できました。

名前の字に関してもっと言うと、正字と俗字の違いを大事にしない人も残念になる。
例えば「髙」と「高」、「﨑」と「崎」のような、若干だけど確実な違いがあるものに対して、どっちでもいいじゃん〜という感覚の人。これからも一生粗雑な振る舞いで周りにストレスをかけ散らかして生きていってください!どうか私のいないところで!と思ってしまう。
それは私の度量が狭いだけだけど、でも、
人の名前に使われている漢字って、いつもその人について回る、その人の背景にいつもあるもので、それを大事にできない態度はその人を大事にしないことと同じだと、怒りを発露できるようになろうと思いました。

周りにいる人の名前の由来聞いて回りたいな〜

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