意味のある人、という話

皆さんは「数年後には、AIに仕事が奪われる」という言説についてどんな印象をお持ちですか?

仕事を奪う?そもそもAIって本当にそんなすごいヤツなの?って感じしませんか。
スシローの受付に配置されているペッパーくんはいつまで経っても一定間隔で呼び出し番号を連呼していませんか?(混雑時に人をかき分けてペッパーくんまでたどり着いたと思ったら既に次の番号を呼んでいませんか?)
勿論そのお客さんはペッパーくんに文句を言う訳にもいかないので、店員さんに「さっき呼ばれたのに間に合わなくて…」と言っても想定外の事態にオロオロ、5分後に出てきた店長さんがPC上で呼び出し番号を修正し、お客さんに謝罪して席まで案内をされていました。

この出来事が良いとか悪いとかを言いたい訳ではなく、「人の生活に直接影響を及ぼしているAIは、現在このレベルなんだ」と感じたのをよく覚えています。
当然、ペッパーくんによって代替された「受付・案内」という価値は今まで人間によって行われていたので、その分の人件費の削減になるだろう、と損益計算上でペッパーくん自体の費用と天秤にかけ、経営者判断をしたかも知れません(話題性という戦略もあるかも知れませんが)。
ただ、貸借対照上で見ると、「店長さんが行った対応、お客さんの負の感情」という現場でしか分からない数値化できない負債が紛れ込んでいるのかなぁ…と。

そんなこともあり、仕事が奪われる(今人間が作業している領域にAIが入り込んで、完全な代替を遂げることとします)まであと数年というのが到底信じられなくて、「堀江貴文氏と落合陽一氏の共同著書である『10年後の世界図鑑』」を読みました。


堀江氏によると、「AIに手が生えた時、単純労働は激減する」と言っています。


どういうことでしょうか?
現在のAIは「人間の目と耳を代替する機能を持っている」に過ぎず、例えば料理の盛り付けなどの細かい作業は苦手です。しかし、これに手が生えてモノを持ったり、手を握ったり、字を書いたりすることが可能になれば、知能は向上するというのです。
人間の知能が発達した歴史を考えると、二足歩行になり両手が空いたことによって文字が書けるようになり、文明を創ることができたと言えます。逆に高度な知能を持つとされるクジラやイルカなど、脳の体積が大きくても手が使えない生物の知能はこれ以上向上しないと言われています。これらを踏まえた結論として、「5本の指を自由自在に操れるハンドをAIが獲得すれば、人間の手は不要になるため、ほとんどの作業を機械が代替する時代が来る」とのことでした。
この部分について、僕は「手を操るというよりかは「言語」を操るようになったから」だと思っていますがそれは一度置いておきます…。


では、AIに手が生えたとして自分たちにどう影響が出てくるのでしょうか。


つまり、私たちのどんな仕事がAIに代替されるのか。落合氏によれば、「コスト」の問題でしかないとのこと。「機械が行った方がコストが低いのであれば、機械にとって代わられる」ということです。例えば、スーパーのレジ打ちは、支払いは機械に代替されているところが多いのが現状です。計算のヒューマンエラーを減らす上、今まで支払い対応に使っていた時間を、次の人のバーコードの読み取りの時間に使うことができるため、お店としては効率的な経営が可能となります。
社会全体の生産性が上がれば、物価は下がり、人々の生活はより幸福になるという視点でAIの発達は人類の発展に寄与していると言えるかもしれません(レジの店員さんからすれば結局労働量は変わらないんですが、それはまた別の話で書きたいと思います)。


でも、危惧されるのはこのことによる人間の排除ですよね。

単純労働がAIにとって代わられるとき、必要とされなくなる人間が多く出てくるのではないか…。
こんな時代だから落合氏は「自分に交換可能な価値をつけ、その価値を売る市場を見極める」必要があると言います。
例えば、「他人の健康」は自分に置き換えることはできないので「交換不能」。足が速いのも「交換不能」。しかし、自分が持っている指輪は「交換可能」、自分のクリエイティブ作品は「交換可能」、さらに目に見えない「自分ができること=スキル」も交換可能な価値になる。
そして、そんな交換可能な価値を「買い取ってくれる市場を把握し、売り込む」ことが大事であるといいます。


この章を読み終えたとき、

単純な僕は「交換不可能」な価値を追求した方がより社会から必要とされるのではないかと考えました。
だって交換不可能な価値ってすごくないですか?他人にとって代わられないんですよ?
でも僕はウサイン・ボルトより速く走れないし、今からそろばんを始めても、計算機には勝てません。
いくらそこで№1になろうと努力をしても、その市場でのトップが既に存在していて、そこは壮絶なレッドオーシャン(苛烈な競争市場)です。交換不可能な価値には「それ自体に価値があります」が、その世界で生き残るのは大変です。
一方で、交換可能な価値というのはブルーオーシャン(未開拓市場)で、誰かにとって意味があればそれで価値の交換が成立します。例えば、「足を速くする方法」というメソッドをYouTubeで共有すれば、広告で収入を得ることができます。

「ウサイン・ボルトより速く走る」ことを目的として培った力は、そのまま使えば「役に立つ力」ですが、誰かに共有してその人がウサイン・ボルトより速く走ることができれば「意味のある力」になり得るのではないでしょうか。
ある力やスキルを身に着けたとしても、目的が「No.1になる」ということに据えられている以上は、中々発揮することができません。
既にトップに立つ人がいたり、ゆくゆくはAIが覇権を取るからです。

キングコングの西野さんはこのことをコンビニの商品に例えていました。
ホチキスやハサミの種類ってお店に何個もありませんよね?
切ることや留めることを目的としているのであれば、一番切れるハサミや使いやすいホチキス(つまり、役に立つもの)を置いておけば良いからです。一方で、たばこやお酒などはたくさんの種類が置いてあります。その人にとって好きな味や風味(つまり、意味のあるもの)は千差万別だからです。


ですので、今回のお話の結論は、

「今後数年の間にAIに手が生える(単純労働は全てAI化される)のはまだまだ先の話だろうけど、準備しておくに越したことはないんだろうな」という考えです。
そして「準備」に対して僕の捉えているところは「役立つ人」よりも「意味のある人」になろうという感覚です。

そこで、今回のアウトプットをどこかに転用できるかなぁと思って考えた仮説が1点。
「努力をしても結果が出ないときは、思い切って目的を変えてみる」ということです。
自分がその目的を達成するために培ってきたスキルは、他の全然違う市場で誰か必要としている人がいるかも知れません。ウサイン・ボルトに勝つために貯めたスキルが、誰かに必要とされているかも知れません。この思考法は、仕事や趣味でも色々と試してみようと思います。

今回の話は念のため申し上げておくと、№1を目指すのが悪いという訳ではなく、僕にはその市場で戦う能力がないし、ブルーオーシャンを目指した方が競争が少なくて済みそうだ、というだけの話です。
僕は社会人になってすぐ、ストレス性の急性腸炎になりましたが、この考え方を身に着けていたらなぁ…と思い返しました。笑

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