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許すとか、優しさとか、?

純粋な正義とか悪とか、人間がつくる世の中はそんな単純なものでできでいるんじゃないって分かったときから、根っからの悪い人間なんていない、と信じている。
きっとどこかで傷つけられて、自分を守りたくて、誰かを、何かを守りたくて、その反動でそんなことしてしまってるんだって思っている。

もしだれかに良くない感情をぶつけられたりしても、その行為を発した「その人」は別に悪い人じゃない、って性善説にすがって、きっとどこかですれ違ってしまっただけなんだ、と思っている。

だから、もしその感情をぶつけられても、受け入れはしなくても、それでその人のことを評価しちゃダメだって思っている。
そのとき、なにか苦しいものを抱えてたんだなって。
これまでに、そうしなきゃ守れないものがあったんだろうなって。

だから、その人のことを責めちゃいけない、と思ってた。

強くなればいいと思ってた。

あなたを変えるために私が変わります、なんて強いことが言えなくて情けなくて嫌いだった。
でもせめて、あなたを責めることはしないでおこうと思ってた。

だけど、多分これは違うのかもしれない。
あなたが、今疲れているからといって、これまでにたくさん傷ついてきたからといって、それは誰かを傷つけていい理由にはきっとならない。

それは誰かがあなたを許す理由になっても、あなたが誰かを傷つけてしまったことに対して自分自身を許す理由になっても、「傷つけていい」理由にはきっとならない。

だから傷つけられたら、辛かったんだって言ってもいいし、こころのなかで責め立ててもいいんだ。

でも、責めるだけじゃ変わらないかもしれないから、
というか、許すだけでも何も変わらないから、
やっぱり強さは必要だな、と思う。


「共感力がたかくて、優しいですね」
といってくれた人がいたけど、
結局私は、私のなかに持っている弱さとか、弱さゆえの暴力性とかを隠したくて、というか逃げたくて優しさに擬態してるだけなんだよな。

ていうかさ。
共感して、つらさを共有することはできるけど、
そのつらさと闘っていく武器も持ってないし、守る方法も知らないのに、
ただただ毛布を掛けてあげることは、優しさなんだろうけど、自己満足にすぎないよな、と思う。

武器、

のまえに、武器を備える根性と覚悟が欲しい。
それも持ってないのに、優しさとか語ってんじゃないよマジで。

優しい、は優ってる、なんだよ。


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