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もうずっと、弱いままでいられる世界をつくりたい、と思い続けている。

今回は「たけちかつや」として投稿しています。
個人的にお世話になり、迷惑を掛け、尊敬している方々の個人名が記載されている箇所がございます。ご当人およびご関係者からご注意等が入った場合、本記事は削除する可能性がございます。

ぼくは30歳手前くらいまで「弱者がいない世界をつくりたい」と思っていました。平等な社会は無理でも、弱さを弱さのまま放置しない世界が望ましいと。解決すべきなんだと。それはたぶん自分が、それ以上に自分の家族が、弱者だから苦しんできたのではないかという思いが根付いていたからだと思います。

「やさしい革命」のはじまりと中断

昨年の2月頃、「寺子屋いえいり」というコミュニティが発足しました。「ともに悩もう、ともに歩もう。」をコンセプトとして、発起人である家入一真さんから教えられるのでなく、家入さんも一緒に悩み歩むためのコミュニティ。そこには100名を超える大人が集まりました。(もっといたかな...?)

また、先行して発足されていたU-20層向けのコミュニティ「やさしい革命ラボ」。ここには家入さんのカリスマと弱さに惹かれた若者が集まり、その庇護(正しい表現ではないと思っています)を受けて、夢見る若者が日々力を合わせていました。

そんな2つのコミュニティは大体昨年の秋口を境に、いまも一部残存するものの現在では体を為さないものへと急激に瓦解していきました。これは偏に、特に「寺子屋いえいり」においては参加した全ての人間の甘えが引き起こした悲しい解散だったようにその当時は思っていました。

甘ったれた時間

と、言いつつぼく自身「寺子屋いえいり」というコミュニティにおいて甘えていたつもりは全くありません。なぜならコミュニティに参加する前にズブズブに家入さん個人に救いを求め、おそらく恐怖を抱かせてしまうかもしれないほどに甘えていた期間があったからです...(笑、えない)

詳細は省きますが、その頃のわたしは、東京×先端×ブラック激務というある種主戦場といえるような場所から逃げ、それまで原点として根付いていた父親が亡くなり、妻子を抱えながらも弱くならざるを得ない(と錯覚してしまう)精神状態が続いていたように思います。

そんな折、福岡へ移り住んだこともあり、家入一真という人を知り、彼の著書を読みオンラインで探し、彼の発言ひとつひとつに影響を受けていた時期がありました。思えば見切り発車で家入さんに会いに出かけた東京で、allyoursの木村さんとそこにいたonenovaのりりあんに出逢わなければ、まだまだ家入さん個人を追いかけるような人間でいたのかもしれません。今思うと恐怖でしかなく、本当に視野が狭くなっていた時期で、ご本人はもちろん、自らの家族を含めたくさん迷惑を掛けていたんだろうなと思っています。本当にごめんなさい。

「たけちかつや」としての挑戦

家入さんに甘えていた時間が終わったころ、それまでオンライン上で考えに考え抜いて武装していた肩書きをすべて取っ払いました。

出身も、大学も、会社名も、職業も、座右の銘も、夢も記載せず、ただの「たけちかつや」となりました。そこからいまの人生がスタートしたように思います。ただそれでもまだ「弱者がいない世界をつくりたい」と思っていました。

そんなときに、かの「寺子屋いえいり」が発足したのです。「三人寄れば文殊の知恵」ではないですが、弱い人も強い人も関係なく集まって一緒に悩んで行こうぜ、一緒に歩こうぜ、というメッセージに感銘し、その理想をあくまで個人である「たけちかつや」として追い求めたいと思い、比較的初期の段階で参画しました。

「弱い」ことは悪いことなのか?

前述したように、そこに参加していた大半のかたはぼくからみると以前の自分のように甘ったれた方が多かったように思います。メッセージ=ビジョンやコミュニティとして挑戦する場として選んでいるのではなく、1人のカリスマを求めているだけのようでした。

コミュニティというのは非常に難しいものだと思っていて、会社経営よりも「利益」という正義がないのでより強烈にビジョンの達成にチャレンジすることができる反面、「給与」という報酬がない代わりにより誰かに何かに依存する仕組みになっているんじゃないかといまも悩み続けています。

甘えに甘えた状態で長続きはせず、毎月満員御礼だった定例会はだんだんと過疎化していき......。わたしにとっての転機は、おそらく最後に開かれた定例会での出来事。参加者はたしか8名だったと記憶しています。

全国共通テイクアウトマップ」の技術母体ともなっているGlideは寺子屋いえいりで初めて存在を知り使っていたツールで、その日はGlideを使った簡易アプリ作成の講習と、みんなで「ともに悩む」ことをテーマとしたディスカッションを行う、という内容でした。(自分が企画したもので鮮明に覚えていますw)

そこで参加者の1人が、「今の日本は弱者のままでいることを許されていない」という悩みを打ち明けたのです。

そのときまでぼくは「ともに悩む」=「解決策を見つける」ことだと思っていたので、衝撃を受けました。弱いままでいることを許される世界なんて想像もしていなかったから。

その言葉とそこから想像した未来、弱いままでいることを許容される世界のイメージは、それからずっとぼくにぶっ刺さり続けていて、、
タイトルの通りあれから1年、ぼくは「弱いままでいられる世界をつくりたい」と思い続けています。

そしてまたどこかで一緒に挑戦したい

いろいろと書き連ねましたが、いまはすべてにおいて起こった事象と出逢った人に感謝しかありません。多くのものをそこで学ぶことができました。コミュニティに属していた誰かに感じていた「甘え」も批難されるようなものではなく至極当然で人間的なんだと思います。(自分の甘えまでは肯定できていませんが...)

これからもぼくは「弱いままでいられる世界」をつくるために挑戦しつづけます。もちろん、強くなろうとする人や人に強さを求める人たちとは対立することも出てくると思います。それでも自分の求める道に進んでいきます。

ただ、ひとりで走ることに正直そろそろ限界を感じてはいます(笑)

想いを同じくできる方はぜひ助けてください。全く同じ道で同じイメージでなくても良いので、議論し互いに研鑽しあい一緒に歩み、挑戦してみませんか?もしご興味あればTwitterなどからご連絡ください。

そして元「寺子屋いえいり」メンバーのみなさん、みなさん覚えているかわかりませんが、元々は卒業制度というものを設けようとしていました。ぼくらはまだ誰も卒業していません(笑)
あの頃よりも大変な世の中になってしまいましたが、だからこそもしかしたら今が立ち上がるときなのかもしれません。それぞれが思う「やさしい革命」を。助けが必要なら声を上げていきましょう。力を貸せるなら大きく手を挙げてみましょう。

ぼくはまず、自分が寺子屋いえいりで学んだ最小かつ最小の武器と、今までの人生で培った最大の武器を掛け合わせて、日本の飲食店と自粛により自宅で苦しむみなさんに、少しでも便利と楽しみを届けていきたいと思います。


頑張ります。やってこ。


ここまで読んでくれた稀有な方、ありがとうございました。
ぜひこの気持ち悪い文章に辛辣なコメントをいただけますと幸いです(笑)


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