2001年、夏、滋賀

2001年、我、小4の夏、それはもうめちゃめちゃ暑かった。猛暑だった。

当時、地元の少年野球チームに所属していた僕は、野球という球技にどハマりしており、チーム練習があった土日はもちろん、夏休みなんかは毎日近所のグラウンドで炎天の下、疲れも感じずに親友たちと自主練していた。

当然日焼けはひどく、毎日夜になってもお肌がホッテホテに熱いままだった。

しかしとにかく体が熱い。暑いではなく熱い。ひんやり冷えたフローリングに寝転んでも足りない。クーラー×扇風機でも足りない。チューペットで肌を冷やしてもダメだ。
今思えば毎日軽い熱中症だったのかもしれない。

もっと涼しくなりたい、その一心で、ピーンとある方法を思いついた。

「バスロマンスーパークールを全身に塗りたくる」だ。

「バスロマンスーパークール」とはメントール成分を多分に含んだ入浴剤で、浴槽に入れると風呂上がりに体が気持ちひんやりするというsomething coolだ。その夏我が家のレギュラー入浴剤だった。

忘れもしない、箱の中身は青空色の粉。あれを全身に直接塗りたくれば絶対に涼しくなる。天才である。

思い立ったが吉日、お風呂の時間になり、体を洗ったあと、バスロマンスーパークールを箱ごとこっそり風呂場に持ち込み、少し水で湿らせ、青空色からドスのきいた鮮やかな群青色に変色した粉を全身に塗りたくって5分放置、ひんやりしてきたと思いシャワーで流し、体を拭く。

スーーーーーーーーーッ!
カーーーーーーーーーーッ!

ウォオオオオオオオオオオオオ!!
全身超ひんやり。超気持ちいい。

革命だった。やはり自分は天才だったんだ。そう確信した。
将来プロ野球で初めて4割40本40盗塁を初めに達成するのは自分に違いない。5割50本50盗塁も夢じゃない。なぜなら天才だから。イチローや松井秀喜&稼頭央を超えるのは自分だ。本気でそう思い、体にパワーが漲ってきた。

のも束の間、その2分後、

ギャァァァアアアアアアアアア!!!!

アニメでしか聞いたことのない声が自分の口から出た。
サトシがピカチュウの10万ボルトを食らった時とちょうど同じ声だった。

痛い、痛い、痛すぎる。おおお、なんじゃこりゃ、おおおおおお。

時間差でバスロマンスーパークールのメントール成分の攻撃力が爆発したのである。

体に空気の微動が触れるだけで鋭い激痛が走る。

クーラーやエアコンの風が刃物のように感じる。
ヒリヒリなんかではない、ファルファルだ。(漫画キングダム 騰将軍の斬撃音より引用)

このままでは痛みで気絶する。

クーラーのきいていない和室に死にものぐるいで避難した。

うめきながら畳に着地するや否や、その場から一歩も動けなくなった。
四つん這いで、全裸で。

僕の声にかけつけ、事情を聞いた姉は僕の滑稽すぎる様を見て涙を流しながら爆笑している。

何かしらの別件で直前に僕を怒っていた母は呆れて完全に無視だ。

父は5秒ほど四つん這いの僕の状況に食いついたがすぐ、当時やたらハマっていたゲームボーイカラーのマリオゴルフを再開した。

僕は四つん這いのまま動けず涙目で真っ直ぐただ一点を見つめている。

家族全員違う方向を向いていた。このまま家庭崩壊する可能性も出てきた。(出てきてない)

その時の光景は何故か今も鮮明に覚えている。

その後なんとか三角座りに体勢を変えたが、1時間そのままの状態で全く動けなかった。

痛すぎて人生で初めて「消滅したい」という感情が芽生えたのを覚えている。さっきまで俺こそがイチローを超える男だ。と思ってたのに。今考えれば人生最高落差の躁鬱状態だった。

1時間経ち、ファルファルがヒリヒリに変わり、ようやく少し動けるようになり、なんとかことなきを得た。

風が吹くだけで足に痛みが走るという痛風という病気を聞いたことがあるが、おそらくそれに近いであろう経験を全身全霊でした気になった。
日焼け×メンソールの相性の悪さを純粋無垢キラキラ猪突猛進少年だった僕は全く想像できていなかった。

僕を泣くほどに痛めつけたバスロマンスーパークールに強い恐怖感、そして憎悪の念すら覚えた。

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「やられたらやり返す、倍返しだ!!!!」

僕はその夏、バスロマンスーパークールへの復讐を誓った。

続く

次回「2020年、夏、名古屋」

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