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『はじめが肝心!』

4月ですね...
1994年(27年前)のちょうど今頃。
コンサルティング会社に入社し、新人研修が終わった僕は関西支社に配属されました。実は、配属先が決まったときに人材開発部の先輩からは、
「関西かぁ…。修業やな…。でも、死にゃーしないから。」       (え?なになにそれ?)

大学の先輩で、OB訪問した際に懇切丁寧に事情を教えてくれて、
この先輩がいるなら…と意思決定に大きく影響を与えてくれた先輩からは
「中島くん…ごめんねぇ…。こんなことになるとは、ぼくも…」
(は、はい?ごめんね?って…ちょ、ちょ、ちょっと、         ど、どういうこと?)


当時、関西支社のコンサルティング部隊は開設したばかりでした。
ですから、関西のお客様にも認知度、信頼度がなく、東京に依頼、問合せ連絡がいくわけで。とにかく口をあけてまっていてもダメで、新サービス開発、新規営業開拓が生きるために必要でした。仕事になると思われるものは何でもやる。飛び込み営業も日常的にやっていました。

そして、この会社には、もともと暗黙のルールとして<二年赤字になると部署取り壊し>がありました。この部署が昨年は赤字。そして、今年赤字になると、取り壊し、一家離散…。


だから、必死だったのでしょう。みんな。
新人に対して「やぁー、待ってたよー。よろしくなーー」なんて雰囲気でありませんでした。配属された初日は部員たちに紹介もなく、一番最初にであった先輩には、お互いの自己紹介も全くなく、「いいところにいた」と出逢い頭にいきなり仕事のアサイン。

「ここの空欄埋めといて」と。
1990、95、2000、2005…と書いてあり、
英語で記載されていたのは、なにやら特殊な材料の需要予測のようで!?

「あのーーー。すみません、これって、埋めるといっても、どうしたら?」
聞きなれない単語をマシンガンのように叩きつけてくるその先輩に、
その言葉の遮るように勇気を振り絞って質問をしたら、彼はこう答えたのです。
「ああ、こいつら読めば、答えが浮かんでくるよ」
マニアックな業界新聞と業界雑誌を、積み重ねること高さ30センチくらい。目の前に、ボン!とおいて、ただそれだけ。(は~?!)

「じゃ、明日!」といって大きなアタッシュケースをもって立ち去ろうとしました。(え~?!)
「あ、これって、いつまででしょう?」
納期を聞くこと、と新人研修で教えられましたから(笑)
「ああ、だから明日の六時までね」と先輩。
「えっ!?明日の夕方六時までですか?(で、できるかな…)」      と私が反応したら、
「冗談だろ?なにちんたらいってんだよ。朝の六時だよ」        (がーーーん!!)
新入社員の配属一日目から徹夜でした。笑

噂は本当で、もはやここはいわゆる甘ちゃん学生がイメージしたものを違うところでした。笑
配属して三日後に夕食が一緒になった一つ上の先輩からは、
「中島、今日のお前のアウトプットは、               ◎◎万円の付加価値だしたんだろうな?」
お前にさ、一日でいくらかかってるのか、わかってんのかよ?
会社に貢献しない奴はいらねぇからな。」と。

一か月後には、ある紙キレ、一枚が配布されました。
そこには一ヶ月分の稼働実績と、数か月先までの稼働予定の数字が無機質に掲載されています。
「稼働0.7は必須だよ。給料分は働かないと。
 だんだん稼働が減って0.3を切り始めたら干されてる。
 暗に辞めたほうがいいと言われているようなもんだ。
 売れてる奴は1.4くらいかな…質も高いし、やってて一番充実してる。
 でも、1.7を超えたら、そいつは相当すげぇ〜奴か、
 いい人ぶって仕事断れない無責任な奴だよ。笑」

半年後には、別の先輩が
「いいか、お前が何できるのか、                                  三年目までにはっきりしないと干されるからな。
みてみろ◎◎さんを。ああなりたくなければ、                         いまは好き嫌いいわずにいいから喰え!
不味くても旨そうに喰え‼︎                                     さもないと、誰もおまんま分けてくれなくなるからな」

一年もすると慣れて、ちょっといい仕事したな、                         と思っても、先輩からよばれて
「お前さ、それぐらいでいい気になんな。
いい仕事したって社内で噂になるくらいのレベルじゃないと                     声かからないぞ。あいつしかいない!あいつだからできる!…そうなりゃ、面白い仕事が勝手にやってくる。忙しくなる。                           さらに能力があがる。さらにくる!
…ここは社内だけど市場原理がはたらいてんだ。」

ここでのやりとりは、刺激的でした。
新人のとき、先輩から耳タコになるくらい刷り込まれた言葉と仕事の流儀。
何度も何度も鬱になりそうでした。
(いや、きっと現在の基準でいうと鬱になっていたと思います。笑)
しかし、これがあったからこそ、いまがあると、今では思えます。

皆さんの新人時代、振り返ると…どうでしたか?
新人時代の体験は、そのあとのご自身の仕事観にかなり影響しているのではないでしょうか?
はじめが肝心!
そして、いま、目の前にいる配属された新人さんたちは、どのような状況ですか?きっと、いま起きていることが、彼らの今後の基準になっているでしょうね。ちょっと意識してみてくださいね。

今日もきっと・・・I・W・D!

追伸:
因みに、この部署は4年後に解散となりました。
なぜかというと、この部署の一人当たりの稼働金額実績がスバ抜けて高く、「全社で一番」の部署となり、本社から注目を浴びたのです。「大阪はなにをしてそんなに儲けているんだ?東京に戻せ!」って。笑
でも、後に、そこにいた仲間たちは、てんてんバラバラになっていくのですけどね…。それはまたの機会に。笑


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