涙がこぼれそう
誰もが頭に,、胸に、目に残る音楽ってあると思う。
それは小さい頃の子守り歌なのか、ヒット―チャートで友達とよく歌った歌なのか。
思い出してみると死んだ兄貴がロック好きだった。
昔からロック好きかと思えばそうではなくて、ある日突然好きになったような感じ。元々そんなタイプではなかった。中二病のよくある「影響されやすい」時期で好きな人の真似をする時期は誰しもあるはず。それがアムラー(古い)なのか、はたまたUSHIPHOPの影響でサイズ大きめの服を着るのか。
そこから大人になるにつれ「恥」が芽生え、服装始め言動が精査されていく。無駄なものがそぎ落とされていく感覚。
でも、兄貴は変わらなかった。
寧ろそんなこと気にしなかったタイプだった。
当時の駅前アメ横で皮パンを買ってきて、それを履いて高校へ登校していた。ピタピタの皮パンで立ちこぎで高専へ。こんな高専生がいるのかと弟ながらに怪しんだ。
そんな兄の影響で中学から音楽が好きだった。
そのころはよくわからん色んなもの聞いていた。
ビギーが死んで流行った追悼曲、いとこが教えてくれたブルーハーツ、中学の担任が教えてくれたTHEピーズ、家の前の床屋のおばちゃんが教えてくれたBOOWY、幼馴染が好きだった黒夢、新星堂で始めて見たMTVに映ってたTHEROOTS、明太ロックと意味も分からず聞いたルースターズ、転校生が引き方を真似していたボブマーリー、コーン、スリップノット、レッチリ、ディアンジェロ、ハイスタ筆頭にAIRJAM関連バンドなどなど
今思えば暇を持て余した中学生が少し背伸びをして、カッコいいもの知ってるよ、俺。みたいな雰囲気で周りと差別区別してたイタイ時期でもあったと思う。
そん中、チバユウスケ率いるミッシェルガンエレファントが96年デビュー。その頃よりファンになった兄貴は出るアルバム、EP、LP、UK版、ディスクノート(仙台老舗レコ屋)の「赤」(当時のディスクは入り口が2つあって、赤がロック取り扱いなど、階が違う青入口がクラブなどジャンルで分かれてた)に行ってはスプリット盤7inchをゲットしてきたり、それを毎回聴かされていた弟は否応なしに好きになった。というより同じくらい衝撃だった。
GWDとスモーキンビリーが2大ヒット。当時この類のバンドで毎回有線から流れる曲、チャートにも載ってセンセーションを巻き起こした.
モッズスーツにカールコードで弾くテレキャスター、ベース。ドクターフィールグッドのウィルコジョンソン以上のカッティング。地を這うベース。タイトな8ビート。詩のような世界観の歌詞、タバコと酒でできたしゃがれ声。すべてがかっこよかった。
声が楽器みたいだった。
ミッシェルが解散したときは残念だったけど、ROSSOもBIRTHDAYも出てきて嬉しかった。
20年以上前
兄貴とライブを何度も観に行った
バンドを生で観れたことが嬉しかった
でも
あの日兄弟で好きなバンドを一緒に見た
ってことの方が、兄貴が死んだ時にいい思い出だったな
て思えたんだ。
そしてチバユウスケが死んだ
食道がんだったて
あの日、兄貴と憧れた人
モッズスーツ、オールバック、ティアドロップのサングラス、ラッキーストライク、バドワイザー、GT400全部かっこよかった人。
兄貴と一緒にライブを見た人はもういない
メンバーだったアベフトシもいない
別になんの落ちもないけど、兄貴と唯一一緒だった好きな人。
少しだけ色々と思い出しました。
チバユウスケさん青春を、感動を、かっこいい曲をありがとうございました。
この客演も素敵
MTVで見たけど凄い。。。
キリがないすね。。
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