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与える人間でありたい

日頃から『自分が幸せになる』為にどうするかを軸に生きるべきだという事を書いてきました。

例えば、好意を持ってる人や、好きな異性、会社の同僚など、特定の人の為に〇〇する、というような事は、誰でも経験があると思います。

しかしそこ相手の行動が、自分としては納得いかなかったり、不義理だと感じる形で、目の前に戻ってきた経験も、多くの人があるのではないかと思います。

今日はそんなことについて書いてみようと思います。

『与えること』までは正解


例えば、職場の後輩が幸せであってほしいと日々感じつつ、悩みを聞いたり、喜びそうなプレゼントをあげたりしながら、関係性を築いてきたとしましょう。

ある日、その後輩の態度が今までと明らかに変わったなぁ…と感じた場合。

『あれだけしてあげた(与えた)のに…なんで?』

ってなってませんか?

それは貴方が後輩を私物化しようとしてる行為じゃないですか?

貴方は今まで後輩が幸せになる為に、尽くしてきたはずです。

後輩の幸せが貴方の喜びなんですよね?

もし後輩が、貴方と距離を取る事を選択したのであれば、きっとそれが今は最も、後輩が幸せになる為の、最適解だったのでしょう。


与えてきたものは無駄ではないし、貴方の希望通り後輩は幸せになるように道を進めています。

『見返りは求めない』


可愛がってきた後輩に『あれだけしたのに何で?』と感情を抱きたくなる気持ちは分かります。

しかし立場が違えば、感じ方も、考え方も変わります。

もしかしたら、その組織にいるときに、貴方より、他の人といた方が、円滑に物事が進む為、仕方なく他の人との関係性を強くしたのかもしれません。

しかし貴方の思いや、与えてきたものは、心の矢印が間違っていない限りは、必ず相手に届いています。

きっと可愛がっていた後輩も、立場や考えは変わっても、貴方への気持ちは変わらないはずです。

逆にここで見返りを求める事で、与えていた事さえ台無しにしてしたう可能性もあります。

自分が相手を幸せにする為に与えたものなので、戻ってこなくても、良いはずです。

自分の近くで、幸せになって欲しいっていうエゴを押し通すのは、自分の価値を下げるだけだと思います。

また恋愛でも、そのエゴは大切な人を幸せにできない事が多々あると思うので…基本的に『与えたから』『与えられたい』って思考は持たない方が健全だと思います。

『自分がどうしたら幸せか』


冒頭から言ってますが、最終的に『自分がどうなったら幸せか?』が大切な事だと思います。

どれだけ人に好かれても、結婚できる異性は一人だし、本当に腹割って話せる親友なんて、限られてると思うんです。

色々な人に与えて、喜ばれて、自分の価値を上げれば、それに見合う価値の人間が周りに現れます。

きっと可愛がっていた後輩と距離が出来たのは、自分のいるステージ(人間の価値)が1つ上に上がったからだと思います。

後輩が成長したら戻ってくるかもしれないし、自分がさらに成長すれば、もっと価値の高い人間と出会えるはずです。

そうやって自分を高め『与え続ける人間』であれるよう成長しましょう。

気が付けば多くのものを『与えられる』価値のある人間になってると思います。

だから学んで、多くの気付きや、学びを与えてくれる、貴方の価値に応じた出会いが成長したステージごとにあるのではないでしょうか?

それが縁という事なのかな…なんて思っています。

続きは有料になります…ごめんなさい。 頂いたお金を使って、一緒に幸せになってくれる仲間を増やす費用とさせて頂きます。