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クロチアゼパム日記         老いて人生を考える 2024/7/15

 外出するとどうも眩しい、犬の散歩には似合いもしないサングラスが必要になった。夜間の頻尿がひどくなり、どうも睡眠が足りない感じがする。忘れ物は若いころから多かったが、付属物ではなく「それを忘れますか」というような目的の主要物も平等に忘れるようになっている。65歳にもなればよくあることではあるのだろうけど、不愉快なことだ。 こんな調子で老化が進んだらと考えると、それは恐ろしい。混濁した意識の下、本能で好みの女性を車椅子で追いかけるなんてこともやりかねない。セロトニンが減りそんな老いの不安に迫られつつある時期、それなりに仲良くしていた妻が発病した。病と闘っている彼女に気づかれてはまずいが、もし彼女が逝ってしまったら僕はどうなってしまうのかという喪失感、寂寥感に襲われてしまう。断続的に執拗に手加減なしで襲ってくる。一番の優先事項は彼女の闘病を支え、病院から帰ってきたら日常の世話をして二人で穏やかに過ごすことであり、それだけを考えておけば良いはずだ。そうに決まっているに、自分自身のこと、まだ先の独りで暮らすその寂しさが頭を占めてしまい、その辛さと虚しさに身もだえしてしまう。発症してしまったことは明らかであり、近所の心療内科の予約をした。
 クロチアゼパムという薬は効いた。呼吸さえ邪魔するような不安感は確実に治まり、パニックに近かった情緒は落ち着いた。副反応のせいか、考え事の傾向は将来の不安より過去の悔恨に移っていく。楽天的、享楽的に生きてきた。概ね仕事は楽しかった。プロジェクトを仕切ることは、成否がはっきりしておりアドレナリンが出たし、顧客から信頼を得たときは承認欲求と達成感に満たされた。出世競争もゲームみたいな感じて、盤上にいる自分を常に意識していた。飲み屋では「ギャンブルは人生だけで十分」と店ごとにしゃべっていた。ビジネスパーソンとしては、まあまあのセンスがあり、それなりの成功を得たと言えるだろう。その実績で今でも結構なギャラを稼げている。だが、なんだかなあ。生きてきた意義、証とするには弱いんだよなあ。ビジネスの成功と言ったって、あくどいことや非情なことを日常的にやっていたし、胸を張れるようなものではない。QRコードとかコンビニATMに関われていたのなら、自分プロジェクトXを妄想できるのだが、そこまでイノベーティブな仕事はできなかった。教え子が何百人もいるとか、地域の発展や治安に貢献したとか、人々を楽しませるコンテンツを提供したとか、まあそういった業績がない。共稼ぎの子供なし夫婦なので、子供を真っ当な成人に育てたということもない。 幸か不幸か(今となっては不幸なのだが)、僕は、生き甲斐とか目指すものを持たずに生きてきた。流れや状況に合わせることで生活できてきた。結果、振り返っても、(多少の不正は目こぼしして)賞罰なしの人生だった。
 そして、残った人生でやりたいことも特に無い。独りでどう過ごせばよいのか展望ない。手遅れの感は否めないが、人生が本当に終了する時に、何か納得感を持ってゆけるように、これからの老人生活で埋め合わせせねばならない。そう思い至ったのが、クロチアゼパム服用2週間目、妻の手術がなんとか終わった時である。

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