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長野ミルクパンを食べる場所が見つからない

これは2024年3月21日の日記。
オチも教訓もない、ただの日記。
(スマホのメモに書いていた日記を、2ヶ月後の5月に発見しnoteに貼り付ける)

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東京、三軒茶屋のまちを歩いている。時刻は午前、10時過ぎ。
50分後に終わるコインランドリーの洗濯と乾燥を、三軒茶屋を歩いて待っている。

コートのポケットには長野ミルクパンが入っている。
右ポケットには大福も入っている。

長野にある、パンと日用品の店「わざわざ」で買った大福。”大人気なのでレジで見つけられたらラッキーです”というコピーに乗せられて買った大福は、ポケットの中でかちかちになっている。わざわざ、かちかち。

今日の東京は寒い。

昨日の軽井沢のレンタカーおじさんが言っていたことは本当だった。

「雪が降った日の翌日が晴れると、晴れた日の方が寒いんだよ」
手の指先が凍るような寒さだった。

3月後半の軽井沢は積雪

歩き続ける。

居場所がないなと思った。

正確に言うと、長野ミルクパンを食べる場所がないなと思った。

コインランドリーのしごおわを待つ間、
長野ミルクパンを頬張りながら、昨日買った本を読みたかった。


この町には長野ミルクパンを食べる場所がない。


カフェに入ると、持ち込んだ長野ミルクパンは食べられない。

ちょっと腰かけて長野ミルクパンを食べるための公園もベンチもない。

楽しみにしていた長野ミルクパンを、歩きながら食べる人にはなりたくない。


少し先に高い建物を見つける。

大学だ、大学なら居場所があるかもしれない。

10分をかけて歩きその場所へ到着すると、それはキャロットタワーという名前の商業施設だった。ここにも長野ミルクパンを食べる場所はない。



居場所がないなと思った。

正確に言うと、役割がない人のための居場所がない。

東京ではどこにいても役割が付与される


カフェにいるとコーヒーを飲む人に、

本屋に行くと本を探す人に、

歩いていると目的地へと向かう人に、

役割が自動変換されてしまう気がする。


コインランドリーにベンチがあれば、洗濯&乾燥を待つ人になれるのだが、
そのコインランドリーにベンチはない。

役割を見つけるとは、そこに座るということなのかもしれない。
そこに留まるということでもあるかもしれない。


大崎上島で二番目に好きなベンチ


東京には長野ミルクパンを食べる場所がない。

50分の居場所探しを終え、コインランドリーに戻る。


乾燥を終えた洗濯物が、凍えた指先をあっためる。


ホテルの部屋に戻り、本でも読もう。

1階のローソンで、あたたかいカフェラテも買おう。


東京はなんでもあるのに、長野ミルクぱんを食べる場所だけがない。



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p.s.


コインランドリーからの帰り道。

三軒茶屋に、長野ミルクパンを食べる場所を見つけた


三軒茶屋ふれあい広場という広場があり、そこにはベンチがあった


長野ミルクパンは美味しかった

美味しかった長野ミルクパン


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