西宮に住んでいた(2)

神戸の銀行のパートは短期間と決まっていて、それが終了するときに別の派遣先を紹介された。今度は、大阪の保険代理店だった。何ヶ月か楽しく働いていたが、ある日突然腰の椎間板ヘルニアになってしまい、ドクターストップにより、辞めた。「ちゃんと治さないと歩行困難になりますよ。」
数ヶ月休んでリハビリ行ったりして良くなった後、また別のパートを始めた。
神戸元町の保険会社の事務だった。食堂のご飯が美味しかった。ほとんどいつも美味しかったが、たまに、本当にたまに、あれっ?って思うくらい普段より美味しくない日があり、気付いた。「あっ、今日いつもの食堂のおばちゃんじゃない」、そうか、食堂のクオリティはあのおばちゃんによって高く保たれていたんだ。
ここでもまあまあ楽しく働いていたのだが、妊娠した。臨月になる少し前まで働いて辞めた。あの頃の私には、産休育休取って職場復帰する、という考えはなかった。世の中的にそういう選択肢が全くないというわけではなかった、と思う。銀行のとき、保育所に子どもを預けてパートをしている人が一人いた。でも私にその考えがなかった。やってみれば良かったなと今は思う。
あの頃、まだオフィスで喫煙者はたばこを吸っていたなぁ。妊婦の私の隣で若い男性社員が普通にデスクで吸っていた。私も吸わないでくださいと言わなかったし、周りの人も何も言ってなかった気がする。今、そんなオフィスないですよね。二十数年で世の中って変わるんだな。
西宮に数年住んでいたのに、あまり大阪に遊びに行かなかった。一回行ったのは覚えてるけど、本当にそれだけかも。通天閣とかグリコとかも見たことない。京都には何回も行ったのにな。大阪には夫が行きたがらなかったし、私も神戸や京都が好きだったから、そっちに行く方が楽しかった。
西宮に住んでいた頃、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ。泣きながら夜中まで読んでいた記憶がある。本を読んでいると、その物語の中に入り込んだようになることがある。そうなるとどんどん読めてしまって止まらなくなる。あの感じを味わいたくて本を読むのかもしれないな。

西宮に東京から友達が遊びに来たことがあった。高校の同級生の男女一人ずつ。別に二人は付き合ってはいなかったと思う、特に確認したわけではないが。なぜ二人が一緒に来ることになったのか覚えていないが、確か京都で集合して3人であちこち観光して、イノダコーヒにも行ったな。女の子の方はうちに泊まって、男の子の方はホテルに泊まって。朝合流して、夫も含め四人で神戸観光。ハーバーランドの洋食屋さんに行ったのを覚えてる。女の子の方がタンシチューを食べていた。あの二人にもしかしたらあれ以来会っていないかもしれないな。数年前まで年賀状のやりとりはしていたけど、なんか私がいろいろなことどうでもよくなっちゃって年賀状そのものをやめちゃったんだよな。今でもたまにあの二人が西宮に来てくれたときのことを思い出し、あの二人って何で一緒に来たんだっけ?って疑問に思っている。いつか会えたら確認してみようかな?まあたぶん聞かないだろうな、私は。

続く

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