2021年3月3日の日記

・今日は、3月3日、雛祭り。雛祭りってやけに人気なのが不思議。特にイベントがあるわけでもないのに、Twitterのトレンドに乗っていたりと日本の節句では異様といえるほどの盛り上がりを毎年見せている。

・うち流の雛祭りの過ごし方は、とても簡素だ。雛も飾らないし、雛あられも食べない、非常に簡素な一日を送るが、それでもちらし寿司だけは必ず食べる。そんなつまらない一日でもうちでは十分節句として成立する。

・それは、うちでは母が錦糸玉子が作る日はハレの日であり、いつしか錦糸玉子には、輝かしい何かというコンテキストを持つようになったのだ。今でも、母がちらし寿司にこれが散らす瞬間には、特別な日だという感情を思い起こす。

・うちの風習と、私の学習的条件づけの話に成っちゃったな。

・よし、今日が何があったか思いだそう。

・朝8時くらいに起きて、後輩の練習を見る。また、部活の資料を纏める必要があるので、昼過ぎまでエクセルと睨み続ける。それから、部の合宿所で直さなきゃいけない備品があるから、それを修理しに行く。それが終わるころには、もう夕方になっていたので、ゲームをして今に至る。

・今日のハイライトは、この備品を修理だろう。とにかく直すのが大変だった。
 直す備品ははウマ。ウマとはボートを置くための台座だ。コの字の基礎に、布を渡した構造になっており、その布の部分にボートを置く。
 ウマの布が破れたから、分解して布を取り替える必要があった。しかし、ウマを分解するにはボルトを回さないといけないのだが、いかんせん錆びついて回らない。556を塗りたくっても動く気配はなかったので、力技に出ることにした。ボルトを破壊すればいいのだ! 
 金属用の替え刃ののこぎりでネジを一時間半ほどかけて4つ切り落とす。頭を失ったボルトは、重力に従って落下する。ネジの頭がなくなることで、摩擦を失ったナットが緩み、いくつかのナットが外れるようになった。まるで死んで力を失った死人のようだ。
 そして、布を張り替え、あえなく修理完了となった。

・体をかなり使った。もう眠いな。

・まだ800文字か。もう少し書こう。しかし、何を書こうか。

・日記を始めるようになったからと言って、特段話せることが増えるわけでもないんだよね。よし、そのことを書こう。

・日記を始めた目的は、記憶力をあげるためでもあったのだが今のところ上がった気がしない。
 私の企みでは、日記を始めれば自然と一日の物事を覚えておこうとする機会が増え、徐々に記憶力が向上されていき、最終的に仕事や雑事でも細かな物事を記憶できるようになっているのではないかと期待していた。
 しかし現状は、一日が終わるころに「やばい、書いてなかった!」と焦りながら席につき、その日起こったことをぼやぼやと思いだしながら書き、思いついたことをだらだらと書いたら寝る。。
 一応、日記を書くというのは、自分はどんなことを思ったのか、もう一度思い直す場であるため、自分の感覚を言語化する能力はすこしだけ上がった気がする。まあ、冗長に書く能力があがったともいえるけど。

・日記なんてものは書いてしまえば成立する代物だから、譬え文章力がなくても始めることができるし、しかもその文章力の低ったとしても、それはそれで読み返すのが楽しい。日記はものぐさでもそこそこ楽しいので、みんな始めないかな。
 ネットで聞きかじった話なんだけど、現代人が最も読んでいるジャンルはエッセイらしい。みんながみんな、誰かの日常を窃視することを欲望している。私もその一人だ。noteの誰に宛てられたかもわからないような日記を読んでいると、その人が日常に対してどんな空気感でいるのかがわかる。日常に対して、ある人は利益を、ある人は規則を求め、ある人はフィクションを求めている。誰にも向けられることのない感情は、書き手の感情のみが詰まったとても純粋なものだと思う。

・自分の日記を書くモチベーションは、未来の自分のためだ。いつか読み返した時に面白いと思わせるために、今日面白いと思ったことを書いている。

・明日の朝はいちごを食べるらしい。楽しみだね。

終わり~~~~~~~~

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