真心
東京は桜が満開です。
東京にはこんなに桜の木があったのか!
初めて見るわけでは有りませんが、毎年、そんなふうに感心しているような気がします。
逆にいうと、桜の花が咲いてない時期には、そこに木があるということさえ、全く意識していないということなんだと思います。
自分ごとながら、身勝手なもんだなあと思ってしまいます。
あれを見よ 深山の桜 咲きにけり
真心尽せ 人知らずとも
老師とも親交があった有名なお坊さんの著者で知った歌です。
有名な方の作ではなく、詠み人知らずの歌だそうですが、なんとも印象に残る歌です。
たくさんの人が見に来る上野公園の桜も、誰もわざわざ見に来ないうちの大子町のお寺の桜も、咲くときがくれば咲きます。
たくさんの人が見に来てくれるから咲いているわけでも、たくさんの人が楽しみにしているから咲いているわけでもありません。
ただ、咲くべきときがくれば咲く、一所懸命に咲く、シンプルにそれだけだと思います。
そんな桜を見ていると、つい、自分自身と比べてしまいます。
こんなことを言ったら相手はどう思うだろう?
こんなことをしたら周りはどう思うだろう?
普段、何をするにしても、そんなことばっかり考えていますし、言ったあと、行動したあとには、当たり前のように•••
どう思われているだろう?
と考えてしまいます。
言うか言わないか、するかしないかに、自分ではない他人の目、他人の評価が大きく影響しています。
もちろん、社会生活を送るうえで、他人の目、他人の評価は大切だと思います。
それを意識するからこそ、周りとの関係がギクシャクせず、円滑に進む面もあると思います。
周りがどんな思いをしようと、自分の思い通りに、自由奔放であればいいのかというと•••やっぱり、それは違うと思います。
桜も決して自由奔放に咲いているようには見えません。
そのとき、その場所に適った行動として、花を咲かせているように見えます。
君子、時中す
中庸に出てくる言葉です。
立派な人は、そのとき、その場に適った言動、判断をするっていうような意味でしょうか。
自分の中にある「どう思われるか」ではなく、
「今、ここで、自分は何をすべきか」
しかもその前提として、全体との調和があると、「時中す」、そして「真心尽せ」に繋がっていくんだと思います。
「今、ここで、自分は何をすべきか」
この自分自身への問いかけを大切にしたいと思いました。
宗慧
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