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常ニコニコ菩薩

お坊さんになって何が変わりましたか?

よく聞かれる質問です。

いろいろな場面で、「自分も変わったなあ」
と思うことはよくあります。

ただ、改まって「何が変わりましたか?」
と聞かれるとなかなか難しいです。

一つ挙げるとすれば、

あまり怒らなくなりました

正確には、ムッとはするんです。

ただ、そこから怒りに発展していかない、
そんな感覚です。

お坊さんでない方のお仕事をしていて、
ムッとしてしまうことが多々あります。

大したことでもないのに、ムッとします。

会議で言いたいことが言えなかった。

自分の意見が通らなかった。

自分の知らないところで物事が進んでいた。

•••

なぜ、ムッとするんだろう?って
考えたことがあります。

それはたぶん、

自分という存在を軽く扱われた

と感じるからなんだと思います。

そして、この裏にあるのは、

自分の存在を貴重なものとして扱って欲しい

という単なるわがままなんだと思います。

常不軽菩薩じょうふぎょうぼさつ
という方がいらっしゃいます。

この方は、お経も読まず、瞑想もせず、
ただただ、会う人すべてに合掌礼拝し、

我深敬汝等不敢軽慢所以者何
汝等皆行菩薩道当得作仏

という24文字を唱え続けた方です。

私はあなたたちを深く敬います
決して軽んじたり
侮ったりはしません
なぜならあなたたちは菩薩の修行をされて
仏になられるみなさんだからです

という感じでしょうか。

会ったとたんにいきなり拝まれて、
この言葉を唱えられるわけですから、
相手からすれば、バカにされたような、
そんな気分にもなりますよね。

それでも気にせず、唱え続ける常不軽菩薩。

結果、周りの人たちは、軽蔑もこめて、
「常に相手を軽んじない」ということから、
常不軽菩薩というあだ名を付けたそうです。

そんな常不軽菩薩ですが、スゴいのは、
宮沢賢治が「雨ニモマケズ」の中で、

こういうものに
わたしはなりたい

と願った姿だったということです。

厳しい自然に対して、オロオロ歩いたり、
なみだを流したり。

看病や親孝行、けんかや揉め事の仲裁、
そして、悩みごとに寄り添う優しさ。

褒められることも苦にされることもなく、
デクノボーと呼ばれるのが常不軽菩薩です。

話は戻ります。

自分は、ムッとした時、
常不軽菩薩を思い出すようにしています。

常不軽菩薩を思い出すと、それでけで•••

一気に機嫌がなおることはありませんが、
大きな怒りには発展しないような気がします。

おかげで、昔と比べて、怒らなくなりました。

まあ昔と比較して頻度が減っただけで、
時には怒ってしまう残念な自分ですが。。。

それでも常不軽菩薩のおかげで、
間違いなく、怒ることは少なくなりました。

いざという時(ムッとしていると感じた時)、
常不軽菩薩を思い出すための呪文があります。

デクノボー

自分なりのアンガーマネジメント?です。

これからもこの呪文で、
常にニコニコしていられる自分を目指します。

宗慧

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