無菌の香り
コンビニでマスクにミントの匂いが付いているものを見つけて、これは! と勢い込んで買ってつけるまでは良かった。軽く手のひらで叩いてから装着すると本当に顔全体にミントの香りが充満して……ちょっとキツいかな? とも思ったりしたのだけれど、でも嫌いじゃないから、まぁいっかと、ルンルンで家を出た。でも、そこから数十分後、電車に酔った。もの凄く気分が悪い。昨日は早く寝たから寝不足ではないのけれど、自分でも顔面蒼白になっているなと気付くほど、気分が悪かった。その後、カフェに入っても気分がすぐれず、早々にお店を出た。
それから、2駅程歩いて少し気分が落ち着いたから、その足で職場へ向かうことは出来たのだけれど……。
昔から、『匂い』がちょっと苦手だった。
と言う表現をすると鼻が非常に敏感なタイプと思われがちだけれど、鼻は残念ながら敏感ではないと思う。割とスグに匂いに慣れてしまうし、匂いの記憶も、あまり良いタイプだとは思わない。
これ何の匂いだっけ? と、思い出せないことの方が多いのだ。
一度フランスで香水作り(香りのベースが用意されていて、好きな物を混ぜるだけ)をしたのだけれど、その時も散々だった。
作っている時は世界一の香水が出来た! と、思ったのだけれど、家に帰って嗅いでみると、作った時の感動はどこへやら、ただただ香水屋にいた奇妙な日本語を話すおばさんを思い出すだけの液体に変わってしまった。
匂いに対しては鼻ではなく、脳で反応してしまうタイプのようだ。
苦手な匂いに対しては眉間から後頭部に向けてずんっと重くなってしまう。他人の香水はそこまで気にならないのに、自分が苦手な匂いを纏ってしまった時に気分が悪くなる。そのままさらに、電車やバスに乗ろうものなら最悪だ。どうも気になってしまって脳がやられてしまう。
今回のマスクはいい匂いだと思っていたけれど、時間が経つにつれていい匂い、悪い匂いではなく、脳が疲れるような感覚があった。
その反面、案外人間らしい汗などの匂いでは、脳が拒否することはあまりない。
電車の中で汗の匂いがしている人が近くにいても、臭いなぁとは感じてしまうことはあっても、鼻が反応している程度に過ぎなくて、脳が拒否をするまでには至ったことはない。海外のトイレで異臭を放っていたとしても、うーん、それはちょっとは気持ち悪くもなったりするけれど、でも、スグに慣れてしまうのだ。頭がずんと重くなるようなことはない。
それよりも驚くべきは、フランスから帰国した際に感じた、日本の空港の『無菌の匂い』だったことを思い出した。
海外に行くと各国の恐らく食べ物の匂いだと思うのだけれど、着陸時点でその国の独自の匂いを放っている。
サイパンもフランスも、中国も、タイも、台湾も、空港に着くと、まず匂いでその国に来たのだなと、感じることが多い。
日本でも、ご飯を炊く匂いや、醤油、出汁、お好み焼きのソースの匂いなんかがすればいいのだけれど、実際には『無菌』の匂いがする。
無香ではなく、無菌。
菌の除去が徹底されているので安全なのだと思いたいけれど、私はどうも苦手で、また頭がずんとしてしまう。
残念ながら、誰に話しても分かってもらえたことがないのが辛いのだけれど……。
今は無菌と言われれば高く評価されるのだろう。けれど、私の脳はどうも潔癖すぎるのも疲れてしまうようだ。
今はそうも言っていられないことを理解してはいるから、皆に合わせてアルコールスプレーもマスクももちろん続けてはいる。
けれど、匂いだけでなく、今のマスク生活にも、ソーシャルディスタンスと言われる人との距離感にも、どうしても違和感を感じてしまうし、脳が疲弊していることを、自分でも感じてしまう所にまで来てしまった。そんな気がしている。
除菌、抗菌、無菌と広告などでもよく目にするけれど、一度立ち止まって考えてもいいかもしれない。
今は世界的にウィルス除去や除菌の徹底が必要とされているし、それも理解しているのだけれど、この状況が明けた時、その後もずっと除菌や抗菌をうたう世の中であり続ける必要があるのだろうか?
そこに、人間の限界を感じてしまうのは私だけだろうか?
菌を退けることが全てではないと、そんな風に脳が警告している気がすづのだけれど……
マスクの匂いから大げさかもしれないけれど、私の脳は少し人工的な無菌の匂いに疲れ始めてしまっている。
菌やウィルスに対してもだけれど、それを避けて生きなければいけない環境が、私には辛くなってきている。
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