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昔歳の糸

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記事一覧

#101『昔歳の糸①』

恐らく3~4年前に書いた長めのお話です。 思っているよりも長いので9分割してお届けします。 お時間がある際にごゆるりとお楽しみください。 それではどうぞ。 明け方の太陽はモノクロだ。 煙に巻かれた花火のよう。 僕にとっては、毎度いつものことだけど。 つまらない斜陽も、もう僕の心を照らさない。 支度は家族の誰よりも早かった。 僕は年相応の好奇心を携えて、両親を急かした。 なんていったって、初めて行くキャンプだ。 当然と言えば当然だろう。 ただ、僕は荷積みで心が折れかけてた。

#102『昔歳の糸②』

キャンプ場に到着した時、僕は寝耳にバケツで水をかけられた。 道すがらに見た景色とも全く異なった景色が、あたり一面に敷き詰められている。 一つとして同色の物が存在しない。 流石僕の弟だ。まだ寝てるよ。 川があると聞いていたので、僕はいそいそと車から離れた。 見つけた! これだ!! 写真で見たよりも川ってやつは躍動感があった。 何より、水が右から左へ引っ張られていた。 川を発見した僕は、泳ぎたい衝動に身を任せ車に着替えに戻った。 が、そこで父の無慈悲な手刀が脳天に振り下ろされ、

#103『昔歳の糸③』

バーベキュー用のグリルコンロ、空色のテント、僕の組み立てたテーブルやイス、その他全てを配置し終えた。 待ちに待ったお肉の入場である! 焼肉屋さんに漂うお肉の焼けるにおいとは違ったにおいが鼻を刺激して、ヨダレが垂れそうだった。 弟は垂らしてた。 みんなで乾杯! 徐々にお肉や野菜が焼き上げられ、僕ら兄弟はそれを一心不乱に飲み込んだ。 美味い。ただただ美味しかった。 川で笑われたお返しに、シシトウを弟の口に詰め込んでやった。 流石神さまだ。 弟は辛いシシトウが当たり叫んでた。 して

#104『昔歳の糸④』

完全に目が開かれたのは、少し日が落ち始めた頃だった。 夕食まではたっぷりと時間があるので、次の楽しみを探す。 一番の楽しみは、もちろん、星を見ることだ。 だけど、それにも時間があるのでみんなで釣りをすることにした。 今の季節はアユやイワナが釣れると言われたが、僕には何のことやら。 母の表情がすこぶる明るいのでよっぽど美味しいのだろう。 弟もお口あんぐりで、目がどんぐりになってた。 あのうねうねしたエサを触るのかと考えると少し嫌だったが、それは杞憂で、ルアーという素晴らしい兵

#105『昔歳の糸⑤』

次の楽しみを見つけるべく弟と作戦会議を開く。 多くの案が出るわけもなく、唯一の案である山の探検に行くことにした。 それから父に希望を話し、体勢を整えた。 右手に木の棒、左手にも木の棒で、頭に麦わら帽を乗せた僕ら兄弟の風貌は滑稽なものだっただろう。 悪いね!虫取り網が無かったんだよ! と、愚痴は置いておいて、探検隊の出発だ。 探検というだけで心が躍るのは、僕ら兄弟だけじゃないだろう? 男性諸君。 山の起伏は、(両手の木の棒を手放さざるをえなかったのは、かなり、というか無茶苦茶

#106『昔歳の糸⑥』

日が横から肌を焼くようになった。 どろんこが包んだ両手足を川で洗い、僕たちは夕食の準備を進めた。 飯盒炊飯をして、カレーを作るのだ。 ピーカー(当時hはピーラーをずっとそう呼んでいたらしい)で野菜の皮を剥くのが僕の仕事で、丸裸の野菜を水で洗うのが弟の仕事だ。 慣れない仕事だが、想像していたより簡単で楽しかった。 なんで野菜を水で流す方が遅いんだ! そんな愚痴を頬張り、最後のジャガイモを剥き終えた。 野菜を切るのは母に任せ、僕は父と火をつけることにした。 うちわを持ち、父が住

#107『昔歳の糸⑦』

このキャンプの一大イベントである天体観測を前にして、僕は籠の鳥のような気分だった。 僕たちは自然に囚われているのではないだろうか、という沈痛があった。 それも簡単には晴れないような。 だが、世界の天井を見上げた僕の心は豆鉄砲を食らった。 空の深さ(今では平面にしか見えないが)は、僕の小さな不安を覆うには十分すぎるほどだった。 望遠鏡を通さずとも、星々の繋がりや息遣いが感じられた。 僕の心は宇宙旅行をするかのようなワクワクに侵され、焦慮を孕んだが、態度には決して出さなかった。

#108『昔歳の糸⑧』

再度車に荷物を積み、キャンプ場を後にした。 ただの緑。 僕には、窓の外がそうとしか捉えられなかった。 帰りの車に楽しみはなかった。 茫然自失としていると家に着いた。 帰宅してすぐ絵日記に取り掛かり、キャンプ場であったことを書き連ねた。 星を見たことは書かなかった。 というか、書けなかった。 記憶の中の星が生きていない。 名前までも失った。 出し抜けの流れ星でさえ、僕の記憶の中では輝きを無くした。 今の僕は空き缶だ。 それからというもの、僕はそこらによくいるおませな子どもにな

#109『昔歳の糸⑨』

内向的になったからといって生きづらくなったということはない。 むしろ、驚くことが減り、人と衝突することが減ったから生きやすくはなったろう。 楽しいかと聞かれたら、二の句はないが。 今、この眼には、かつて見ることが出来た命の輝きとでもいうようなキラキラは見えない。 決して命を軽視しているわけじゃない。 命の尊さ。 つまり、内面的な部分、本質的な部分、そして一般的な美しさに盲目になったのだ。 綺麗だ、と皆が口を揃えて言う空が、僕には酷く醜く見える。 あれは見るに堪えない人間の利