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質問する人は、ギフトを与えている人

私は、いろんなことにギモンを持ちやすくて、


「どーして?」
「なぜ?」
「どーなってるの?」


と、いろんな場面で思うことがあります。


これが、人によっては、

あなた、なにか不満でもあるの?

と、誤解されやすかったりもします。


若手社員だったころ、上司に
「この業務は、なぜ今日中に急ぎでやるのでしょうか?」と、質問したことがあって、


私の聞き方が悪かったのか、はたまた生意気に聞こえてしまったのか、上司のカンに触ったらしく


「文句があるんだったら、やらなくていい!👹」



と、他の社員の面前でブチギレられて以来、
なにかギモンを持って質問することに躊躇ちゅうちょすることがよくあります。


社交辞令なのか、本気なのか、悩ましいのが、よく



「わからないことがあったら、なんでも聞いてください」

「お気軽に、お問い合わせください」

「些細なことでも、ご相談ください」


このような優しいメッセージを見かけますが、私はいつも半分疑っていたりします。


ほんとうにギモンや質問を投げかけたら、

私はめんどくさいヤツ

に、なり下がっちゃわないかと心配になるのです。



時間泥棒にならないだろうか?

頭の悪い人だと、思われないだろうか?

クレーマーだと、思われないだろうか?

頭でっかちな人だと、思われないか?

まわりの人が、引いちゃわないだろうか?



と、未だにこんな感じで頭の中を駆け巡ります。


だから、質問をしないで済むんだったら、
極力したくないのがホンネだったんです。



* * *

質問するとは、与えること


現在、通信でグループ単位で勉強会を
やっているんですが、そこの講師が言ったひとことで
めちゃくちゃ勇気をもらったんです。


質問は、
講義内容がよりリアルなものに変化させ、
参加者の理解を深めます。

だから、あなたは”与えている” 人なんですよ。


質問を投げかけるとは、与えていることになる?!


与えている人

という言葉が、私の自己肯定感を爆上がりさせてくれました。奪う人じゃなくて、俗にいうギバーでよかったーと思いました。


質問 = 迷惑をかける

今まで、ギモンは極力自分で調べて解決する方が、他人に迷惑がかからないと思っていました。どーしもダメな場合にだけ、他人に頼った方がいいのだと。


だから、今まで「まっ、いいか」と、うやむやにしてきたことが、けっこうありました。嫌われたくないから、遠慮していたんです。



でも、自分が抱くギモンや質問を、人に聞くことが迷惑になるとは限らないと気づきました。ましてや、人のためにもなるし、最後は自分のためになる。


勇気を出して質問をしたことの答えって、

なかなか忘れられないのです。


学びがより深くなるんです。
勇気とのトレードオフでメリットが相当大きいです。


ただ、なんでもかんでも質問をするのではなく、
しっかり学ぶ必要はあるけれど。


ギモンを持つこと、質問をすることは、
みんなのためになり、もちろん自分のためにもなり、
人生がより豊かに。


質問は、
新たな視点、盲点、ヒント、突破口、
深堀り、潮目を変える etc…
とギフトがつまっている。


質問力を鍛えていこう。
与える人となるために。


ゆくゆくは、今度は自分が質問に
じゃんじゃん答えられる人になっていたい。


さあ、明日はどんな質問をしようか。


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