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5月20日


この毎日noteは友人らとお題を持ち回りで書いているわけだけど、ここにきて改めてというかやはりというか、「お題って大事やな」となっている。


お題以前に関心という熱が大事。


小さい頃から文章に沢山救われてきた。
文章によって様々な興味を掻き立てられてきたし、癒されてきた。
あるときは純粋な物語の娯楽として、あるときは人生の良薬として。
あるいは毒のようなものもあったとは思うけれど、つまりは様々な影響を享受してきた。

小学生の頃はよくミステリー小説や冒険文学を読んでいた。
シャーロックホームズ、ルパン、江戸川乱歩、15少年漂流記、ガリバー、タイムマシン、80日間世界一周。特に講談社発行の【痛快!世界の冒険文学シリーズ】が大好きで、新刊が出るたびに買っていた。
文庫本よりもハードカバーが好きで、あの重みも、凝った装丁も、見ているだけでわくわくした。
これはどんな話なんだろう?


大人になってから言葉に可能性を感じたのは詩のおかげかもしれない。
ぼくは言葉は宇宙を創るものだと思っている。つまり言葉は規定という力を持っている。規定ということはある限定を創りだすということになる。

ぼくは限定と解放はセットであるほうがいいと思っている。
それはある場面では有効な限定が他の場面では有効でないことがほとんどだし、時代や時間、人が変われば、有効な限定は変わるからだ。

大昔に有効だった道徳は今日も有効だろうか?答えは「そうである場合もあるし、そうでない場合もある」だと思う。
永久的な答えなどないのだ。きっと。

話を戻そう。言葉には限定的な世界を創りだす効果がある。
ただ、詩というのは比較的ファジーだ。
つまり言葉を詩的に使う時、限定という力をある程度弱めて、あいまいな境界、より感覚的なもの、フィーリングを伝播できることに気づいた時に、言葉に大きな力を感じた。

道徳的な説教は好きではない。何かに対しての真理を解くようなセリフも。そんなに物事を断言できるほど頭がよくない。
それでもある特定の感じについては、つまり良い感じについては、みんなに伝えたいと思うのである。
それは頭を通じている風で、こころに通じるなにかなのである。

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毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。
ハッシュタグは #毎日note
大テーマ#文章
テーマ#伝えたいこと

お読みいただきありがとうございます!