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like a letter #2

本日の平塚は快晴。
日が長くなってきたなぁと思ったら
もう来月が夏至なんですね。

近況方向やら
近況思考趣向の報告を兼ねて。


「大切なことを大切にすることが大切」
ビタァアアアン!!


この間、友人が
「私は遊ぶのが下手だから」
と言っていて
“遊ぶ”についての関心値が再燃している。

こんなことを言うと怒られそうですが
(そして怒られてもいいですが)
遊んでしかいない自分からすると
遊びに下手とか上手とかあるんだ、、、

割と新鮮な響きだった。

遊ぶって
結果というより行為だなと思う。


「自分がされて嫌なことは他人にしない。」
という教えは
嫌だ感じることを、自分が他者にしたことを、自分が知っている状態が
自分の気持ちを下げるから。
ということだろう


通りの学生を見ていて
なんだか自分の学生時代の記憶に想いを伸ばしてみたくなる
あの頃どんなことを感じていたっけ
どんなふうに世界にいたっけ
思い出そうとするけれど
靄がかかったみたいに思い出せない
そこにあるような気がするのに

こういう
存在していそうだけど
簡単にはアクセスできない種類の記憶のことを
なんて呼ぶんでしょうか。


住んでいる平塚に
いろんな人が来てくれる。

来た人とご飯を食べたりするのだけど
メンバーによって時間の立ち上がり方が変わる

場は人
もしくは
人が場
だなと思う

誰といるとき
または
誰らいたときの時間が印象に
残っている?

自分はどんな場を望んでいるんだろう


「人と人をつなげるときに何を考えているんですか?」
と聞かれる。

聞かれると考える。

良い質問。

目的や言い訳は何か
どんな形で出会えるとよいか
どんな組み合わせか
時間帯
食事の有無
来てもらうのか行くのか
空間
何人で?
などなど

いい出会いを創れると
なんだかその日は満足なお風呂時間が生まれる
そんな気がします。


ピニャコラーダっていい響き


「202のメンバーに会わない日ってあるんですか?」

「えっと、顔を合わせる日もあるし
いなかったらいないで少し会わない時もあるし
いたらいたで一緒にご飯食べたりね」

「それって、家族じゃないですか」


古畑任三郎を見返している。

僕の中学時代のヒーローは古畑任三郎で
もう何回見たかわからない。

中学3年生の時に全校生徒の前で
モノマネを披露する程度には
古畑任三郎が好きでした。

今も好きです。

黒いスーツ姿にセリーヌの自転車。
謎の癖。
何より会話劇であるというのがいい。

話し方の抑揚がたまらない
田村さんの話し方をずっと聞いていられる。


間違えて
劇場版名探偵コナンを見る。の巻


世にはストレングスファインダーという
自分の特性を理解するやつがあるけれど

weakness finder
みたいなものいいなと思う
強みを出し合う
というより
弱さを補完し合う
ということの方が強靭ではなかろうか



松屋となか卯が並んでいた。
リビングオアデッド
なんて二択だろう。
わたしゃね
なか卯に入りました。
理由はなか卯の方が健気な気がするから。


模様替えをしました。
ルイスポールセンのph5という名作照明を使ってみたくて
導入したら
部屋のバランスが変わったので
久しぶりに机の位置を動かしたり
寝具カバーを変えたり
ソファの位置を動かしたりした。

模様替えをすると
今までと気の流れが変わる。

ソファに座る頻度は増え
猫たちのソファでの過ごし方も少し変わった気がする。

模様替えは簡単な空間との対話方法だなと
しみじみ思う。

ぼくが空間を編集するなら
日々の生活動線や
使う人の快不快の理解。
その上で
いるものいらないものを分けて
レイアウトと各場所の機能をイメージしつつ
配置を決めていく。

風の通り

座った時の景色
いろんな要素をマッシュアップしながら
快適で清潔で
居ることに耐久性がある場所にする。

そんな感じでしょうか。
なんだかいろんな問いをばら撒いた気がする。
「おっ」って方はお茶しましょう。

また書きます。

2024年5月18日


お読みいただきありがとうございます!