幸せとは

幸せを数値化する時代になっている。
”どれくらい幸せなのかを数字で示す”というコンセプト自体に危うさを感じる。

ひとつのレベルで幸せとは個人的な思いであると思う。

ある人が幸せを感じてることを他の誰かが邪魔できないというか。それは単純な言い切りであると思う。
ただし思考だけの幸せと、ハートを連動させての幸せは区別しておきたい。ある人が私は幸せですと言いながら、そうは見えない時、思考とハートの乖離を感じてしまう。

別のレベルで幸せとは一致感であると思う。
ワンネス、全てがひとつであること、大丈夫なスペース、人生の伏線の回収、神聖な意図、宗教的恍惚、自分という限定を創り出している大元、生命そのもの、自然。人生には偶発的に(あるいは意図的に)ダイヤルが揃う瞬間が準備されている。

また他の次元で幸せとは、正しい方向へのワークインプログレスであると思う。
目的は達成する瞬間こそが最大瞬間風速というわけではなく、その目的が正しいことならプロセスが最大の報酬である。

アフタースクールという映画の中で大泉洋がこう言う
「お前がつまらないのはな、お前のせいなんだよ」

同様に、そして反意では、
幸せというのも自己起因だと思っておきたい。

幸せになるための簡単な方法は親切をすることであると思う。
少し正論すぎるだろうか?
しかしやはり大真面目に、そう思います。

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