ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその8「衣装編」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)
衣装の色と柄の見どころと見せどころ
2019年5月24日配信
歌舞伎の楽しみの一つは、何といっても贔屓にしている俳優を鑑賞できることにありますが、もう少し客観的な視点で見ると(笑)、衣裳の素晴らしさにも心を奪われます。大胆かつ美麗な色合わせ、絢爛豪華な織り地や刺繍、モダンな意匠など、魅力は数え切れないほど。そこで衣裳について2回に分けてご紹介します。今回の主なテーマは色と柄。
役者が流行らせた柄
江戸時代、歌舞伎役者はトレンドセッターの役割を果たしており、衣裳に使われた柄の中には、大いに流行したものがあります。今でも手ぬぐいや浴衣に使われ一般に親しまれている柄といえば、七世市川團十郎が一時すたれていたものを復活させた“かまわぬ”(浮世絵1)。判じもので、鎌と輪の絵と、文字の“ぬ”が描かれています。初世中村芝翫(三世中村歌右衛門)は4本縞に鐶(かなわ/かん)を組み合わせて、4つのかん(しかん)とした“芝翫縞”(浮世絵2)を考案。三世尾上菊五郎は斧(よき)、琴、菊の絵と文字でデザインされた“よきこときく”を好んで着ました。
格子縞もいろいろと種類があります。たとえば七世團十郎が成田屋の定紋三升をアレンジした三筋格子、松本幸四郎の高麗屋縞(浮世絵3)など。ちなみに浮世絵3の柄の中の紋は現在染五郎の紋として使われている三ツ銀杏です。尾上菊五郎の菊五郎格子(浮世絵4)は、縦4本横5本の細い縞を交差させ、間に “キ”と“呂”を入れて“きくごろう”と読ませるもの。市松模様は、それまで石畳模様と呼ばれていた柄で、初世佐野川市松が衣裳に使いこの名称になりました。
ところで役者がらみの名ではありませんが、同じ幅の太い縞を交差させた弁慶格子(浮世絵5)は、実のところ、勧進帳の武蔵坊弁慶の衣裳ではありません。弁慶の衣裳に用いられているのは、翁格子と呼ばれる柄で、太い格子の中に細い格子があしらわれています。
色も役者好みがトレンドに
柄だけでなく、色も役者が流行らせました。宝暦・明和期(1751〜72)には二世瀬川菊之丞(俳名路考)の、緑がかった茶色の路考茶、安永・天明期(1772〜89年)には五世市川團十郎の、グレイッシュな藍色の升花色がトレンドカラーに。文化・文政期(1804〜1830年)に活躍した初世芝翫は、ややくすんだ赤みのある茶色の芝翫茶、ライバルの二世嵐吉三郎(俳名璃寛)はダークな緑がかった茶色の璃寛茶を流行させています。
赤姫の赤が表すもの
伝統的に意味を持つ色もあります。たとえば赤。『本朝廿四孝』八重垣姫、『祇園祭礼信仰記』雪姫、『鎌倉三代記』時姫の三姫を代表とする、姫の色。華やかさと色気、凜とした内面の強さを表します。こうした赤い衣裳の姫は通称“赤姫”と呼ばれています。赤は立役が着て血気盛んな様を象徴することも。白は清浄、無垢を象徴することが多い色です。
江戸時代の衣裳は役者の自前
衣裳は、江戸時代末期まで役者が自腹で調達していました。下廻り(名題下の男役の役者)には、座持ちの衣裳も貸し出されてはいましたが、人気にもつながるためこだわる役者が多く、競い合いになりました。それがエスカレートして贅沢がきわまり、たびたび奢侈禁止令が出るほどに。しかし、贅を尽くして先達が工夫を重ねた衣裳の有りようは今日まで受け継がれており、伝統を守りながら進化を続け、観客の目を楽しませてくれています。
次回は衣裳と役柄についてまとめます。
(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『歌舞伎の衣裳 鑑賞入門』東京美術、歌舞伎公演筋書、『歌舞伎美人』)
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衣装とキャラの見どころと見せどころ
2019年6月21日配信
五月の歌舞伎座では、何度も観ているにもかかわらず、『勧進帳』ではじめて目頭が熱くなりました。気魄に満ちた演技で観客を魅了した十一代目海老蔵の弁慶が身につけていたのは、ご存じ山伏の衣裳(浮世絵1)。劇中で自らアイテム一つ一つの説明をします。関所で偽物ではないかと疑う、四代目松緑扮する関守の富樫に問いただされてのことですが、こちらは武士の礼服である素襖と長袴を着ています。
武士キャラ
武士とひとくちにいっても、富樫のように由緒正しい役柄から、落ちぶれた役までさまざま。前述の、礼服である素襖は、大きな袖の上衣、長袴は引きずる長さの大口袴。この大口袴は能楽の形式を写した松羽目物でよく使われる衣裳で横にぴんと張った袴は大口です。また、素襖に紋が付くとより格式の高い礼服が大紋(浮世絵2)。礼装には烏帽子をかぶります。武士の普段の外出着は、肩衣に袴。通常外出時の衣裳では大小を帯刀していますが、殿中では小さ刀という短刀のみを身につけます。身分が高い武士はもともと公家の装束だった束帯や狩衣という衣裳を着ることも。実社会では細かいところまで格式に合わせた決まり事がありましたが、そこは歌舞伎のこと。キャラがわかりさえすれば、あとは自由にアレンジして、衣裳としていかに舞台で映えるかに主眼を置いています。では浪人はどうでしょうか。失業中ですから正装をする必要はありません。着付のみを着用します。着付は小袖のことで、現在一般的に「きもの」といったときに思い浮かぶ形のもの。浪人といえども役柄によっては袘(ふき)をあしらった豪勢な着付を着ている場合もあります。袘は、裾部分の裏地を表側に見せてその部分に綿を入れたデザイン。華やかさがあります。
姫キャラ・お嬢キャラ
お姫様は贅を尽くした衣裳が決まり事です。コートのように一番上に羽織るのが打掛(うちかけ)。その下には振袖を着ます。ともに赤を用いることもあり、金糸銀糸の刺繍とあいまってこのうえなくきらびやか(浮世絵3)。大店(おおだな、豪商のこと)のお嬢様も負けていません。美麗な花柄の振袖に、振り分けという、後ろで結んで左右に長く垂らした帯で、華やかな出で立ちです。ちなみに振り分けは姫でも用いられる結び方。どちらのキャラも、演技以前に、まず衣裳(と髪型)で、観客は自動的に「あ、姫ね」とか「あ、お嬢ね」とわかるので、芝居に感情移入しやすいのです。
遊女キャラ
遊女の最高峰、傾城の衣裳はまるで美術品のようです。なかでも『助六』に登場する助六の相手役、揚巻の衣裳は、それこそ360度、どこから見ても絢爛豪華(浮世絵4)。五節句に因む意匠で、最初の衣裳は、正月飾りと桃の節句、端午の節句。打掛の肩山と袖山にフリンジのように注連縄があしらわれ、帯は前で結ぶ俎帯(まないたおび)。鯉の滝登りを表す帯にも、裾まで届く長さの金糸銀糸があしらわれ、やはりフリンジのように揺れて華麗そのものです。ちなみに1855年頃の浮世絵4では鯉は袖に描かれています。衣裳替えをすると、七夕の短冊が立体的にあしらわれた帯で登場。最後は重陽の節句で菊の打掛を着用します。
ちなみに遊女の襟元には、折り返した赤い襟が見えます。芸者役でも用いる着方で、白襟に美しく映えて、遊女や芸者のわかりやすい目印になっています。理由は諸説あり、残念ながら定説はありません。
零落キャラ
たとえば大店の息子なのに放蕩が過ぎて一文無しになったという場合など、零落した姿をわかりやすく表すのが紙子です。紙で作った衣のことで、パッチワーク状に継ぎ合わされたデザイン。舞台では絹地で仕立てられた衣裳を用いていますが、四代目藤十郎が本物の和紙製を着用したことも。江戸時代に実際に着られていたもので、貧しい人々だけでなく、武士が防寒用に着たり、裕福な商人が、高価な紙を使っておしゃれで着たりという場合もありました。歌舞伎では、素材がなんであれ、パッチワークやつぎはぎのある衣裳は、零落した、あるいはもともと貧しい境遇にある役に用いられます。『俊寛』で俊寛が着用しているものも、つぎはぎだらけですすけた色合いの衣裳。流人の悲惨さを表しています。実はこれも紙子同様、緞子や錦などの高級な布で仕立てており、贅沢そのもの。だからこそ舞台で映えるのです。
超人キャラ
良くも悪くも人並み外れた力を持つことは、衣裳でも表現されます。たとえば『雷神不動北山桜』の鳴神上人。雲の絶間姫の手練手管で破戒し大切な注連縄を切られてしまい、雷神と化す場面。ぶっかえりで現れる火焔模様の衣裳は、たぎる怒りがもたらす力を表し、妖しくも力強く舞台を飾ります。
次回は納涼と怖いキャラの衣裳などについてご紹介予定。
(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『歌舞伎の衣裳 鑑賞入門』東京美術、歌舞伎公演筋書、『歌舞伎美人』)
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