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ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその14「俳優(2)」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

※名跡は配信当時のものです

勘九郎丈の見どころと見せどころ

2016年2月5日配信

 今年は『真田十勇士(さなだじゅうゆうし)』が映画化されるということで、歌舞伎以外でも充実した役者道を順調に歩み続ける、中村屋さんの六代目勘九郎丈。亡くなられたお父上の十八世勘三郎丈が大きくした名跡を継ぎ、新しい勘九郎像を着々と形作っています。

 六代目勘九郎丈は、きりりとした目元で上背もあり、立役として恵まれた容姿。さまざまな役柄をこなせる実力派です。ご紹介するにあたって筋書きを見直していて気づいたことがあります。平成二年、三十一年ぶりに歌舞伎座で八月公演を催すことになり、納涼歌舞伎として、十八世勘三郎丈(当時勘九郎)が『怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)』で三役早替わりをなさったのですが、一昨年、同じ役を、新しい歌舞伎座で納涼歌舞伎として、六代目勘九郎丈が演じていたのです。歌舞伎通の間では常識なのかもしれませんが、ともあれ、長い時を経て両方観る機会を与えてくださった歌舞伎の神様に、思わず感謝。早替わりというのは、悪役と善人の役などを瞬時に演じ分けなくてはならず、観ている方はワクワクするけれど、役者さんにとっては演技力、体力、瞬発力など、さまざまな力が問われる演し物です。お父上の三役はずいぶん昔に観たのに、いまだに表情が思い浮かぶほど印象的だったのですが、当代は大柄で見せどころの立ち回りなども迫力満点。早替わりの面白さに新たな魅力が加わって、感慨深いものがありました。ちなみに、二年の公演では、七之助丈が子役の真与太郎役で登場しています。

 当代勘九郎丈は主に立役ではありますが、襲名披露公演『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』での奥ゆかしい小姓弥生から勇ましい獅子への変身ぶりは見応えがありましたし、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』の豆腐屋おむらのような熟女(?)役もなかなかのものです。また立役でも、すっとした色男や苦み走った悪役、猛々しい正義の味方ばかりでなく、『鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)』猿源氏のようなコミカルな役も、DNAに刻まれているとしか思えない独特の軽妙さが備わってきていて、心から笑えます。

 勘太郎丈時代は、お父上と共演されているときに拝見することが多かったのですが、新春浅草歌舞伎では同世代の役者さんとの若さ溢れるお芝居を堪能させていただきました。平成十年代の当時は、今をときめく花形俳優陣が皆さんまだ若く、考えてみると贅沢な顔ぶれでした。余談ですが、新春浅草歌舞伎がかかる浅草公会堂はこぢんまりした小屋なので、舞台の熱気をより身近に感じられますし、チケット代も良心的。ちょっとお得感のある公演で、若手俳優を観るならおすすめです。

 浅草といえば、平成中村座も忘れてはならない公演です。江戸の芝居小屋の雰囲気を蘇らせたいという思いから特別に設えられた小屋はワンダーランドそのもの。演し物も毎回趣向を凝らしており、何度でも観に行きたくなる公演でした。昨年、勘三郎丈亡き後三年を経て、久しぶりに開催され、座布団に座って観るお芝居の楽しさ、役者さんと客が一体となって盛り上がる感覚を、改めてかみしめました。これからどのように進化していくのか、見守りたい公演のひとつです。ほかにも赤坂大歌舞伎や、コクーン歌舞伎など、中村屋は新しい試みに果敢に挑んでいます。六代目勘九郎丈も海外公演を含め、すでにいろいろな挑戦を続けており、次は何を見せてくれるか、興味津々です。

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七之助丈の見どころと見せどころ

2016年3月4日配信

 「見るたびに芸達者になってるよね」と、最近、歌舞伎友達の間で評判なのが、七之助丈。勘九郎丈とともに中村屋を支える花形役者さんで、今や飛ぶ鳥を落とす勢いです。

 瓜実顔に柳腰──七之助丈の女形は、まさに浮世絵の美人画に登場する女性そのもの。とはいえ、女形が好きになったのは「初めて『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』六段目で“おかる”を演じたとき」と、平成二十年平成中村座の筋書きのインタビューに書かれています。なぜなら「玉三郎のおじさまに教わり、立役も女形もなく、その心のうちをつかむということがいちばんだいじなんだとわかった」からと。ここでいう初役は、平成十八年の新春浅草歌舞伎で演じた、勘九郎丈(当時勘太郎丈)とのダブルキャストのことでしょう。なるほどあの頃そんなふうに得心することがあったのか、二十二、三歳の若さですごいなあと、今読み返して感心します。観る側からすれば、その“おかる”を演じる前にも、たとえば二十歳で演じた『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』の弁天小僧などは、若さみなぎる溌剌とした感じで、印象に残っているのですが。

 七之助丈というと、なんとなく、お姫様や傾城、あるいは大店のお嬢様、繊細そうな若旦那という印象があったのですが、三年前の明治座『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』“お富”役あたりから見方が変わりました。ちょっと玉三郎丈を思わせるような、きれいなだけではない、女っぷりのよさ、台詞回しの粋な感じがあり、それまでにも増して惹きつけられたのです。もちろんこの演し物は“切られ与三”あるいは“お富与三郎”でも知られる人情噺で、お芝居自体にも魅力があるのですが、それだけに役者さんの実力が試されます。この頃から「七之助さん、ほんとうによくなったよねえ」「とってもよかったね」という声が、周囲のうるさ型からも上るようになった気がします。

 古典でのご活躍もさることながら、新歌舞伎でももちろんパワーを発揮しています。宮藤官九郎さん脚本のコクーン歌舞伎『天日坊(てんにちぼう)』の“お六”では、盗賊に落ちぶれた武家の娘の悲しい強さともろさが心に残りましたし、昨年話題になった『アテルイ』でも好演しています。今年はデヴィッド・ルヴォー氏演出『ETERNAL CHIKAMATSU』の“小春”役で深津絵里さんと共演。このメルマガが配信される頃には評判になっていることでしょう。

 “女形”とは、女性の観客にとって不思議な存在で、立役の役者さんに対する「素敵♥」とは異なる、「美しい♥」という感情を抱かせます。同じ「♥」付きですが、ベクトルが異なるのです。でも「♥」。自分を同化するのでもなく、男の役者さんとして観るのでもない。けれどひいきの女形役者さんが出るなら観たいと思わせる“力”がある。改めていうまでもないことではありますが、“女形”の存在は、観るものを異次元の世界にいざなってくれる、歌舞伎の独特の魅力のひとつなのです。そんな女形もさらにきわめつつ、役者道を邁進する七之助丈。この先も一ファンとして見守っていきたいと思います。

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猿之助丈の見どころと見せどころ

2016年1月8日配信

 お芝居って楽しい! 心底そう思えたあっという間の4時間半。もう一回観たかったけれど、残念ながら新橋演舞場公演の楽間近の日で叶わず、残念……。そう、あの話題騒然『ワンピース』のことです。舞台と観客が一体となって興奮の渦に巻き込まれていく感じはナマならでは。スーパー歌舞伎は、三代目の『オグリ』初演以来再演を含めてほぼ欠かさず拝見しているけれど、『ワンピース』のぶっ飛びぶりはまた格別。澤瀉屋の面目躍如といったところです。

 四代目猿之助丈は、亀治郎丈のころからひいきの役者さんです。先代(現二代目猿翁丈)の公演を観に行くと、かわいらしいお姫様役だったり、いたいけない若武者だったりを好演していて印象に残り、いつの間にか亀治郎の会にも足を運んでいて、気がつけばすっかりファンになっていました。今から考えてみると、最初に拝見したころは10代だったかと。2003年に猿之助一座を離れるまで、先代やお父上の段四郎丈、ときに玉三郎丈や勘三郎(当時五代目勘九郎)丈など錚々たる面々に囲まれながらも、ひときわ初々しいきらめきで舞台に華を添えていた気がします。恵まれた容姿はもとより、勘所のよさや身ごなしの軽妙さ、女形も立役も演じわけられる演技力も、すでに際立ち始めていたころなので、一座を離れたことは残念でした。けれどその後も、亀治郎の会といい、『NINAGAWA 十二夜』ほか話題作への出演といい、役者さんとしての成長ぶりはめざましいものがありました。

 四代目については、歌舞伎ファンでなくても、その異才、博識ぶりをご存知のかたは多いと思います。役者絵を中心とする浮世絵の収集は小学校のころからとか。きっかけは初めて触れた高祖父の初代市川猿之助丈の役者絵で、コレクションはすでに2,000点を超えるそうです(『二代目市川亀治郎大博覧会』プログラムより)。陶磁器の収集も有名です。テレビや映画への出演、書評やエッセイの執筆、さらに梅原猛氏との対論集『神仏のまねき』(角川学芸出版刊)などもあり、まさに八面六臂の活躍。ドキュメンタリーなどを拝見すると、歌舞伎公演だけでも大変そうなのに、いったいどこにそんな心と時間の余裕があるのだろうと不思議なくらいです。

 襲名は2012年。襲名後しばらくは、先代にそっくりでびっくりすることがありました。襲名前の第8回亀治郎の会でも、“四の切”(『義経千本桜』四段目)で演じた狐忠信は先代と見紛うほどの一瞬がありました。型を真似ているわけですからそういう意味では当然なのですが、それ以上に、先代が見せた独特のいじらしい子狐らしさを彷彿させ、心に残りました。しかし四代目のすごいところは、すでに、その“似ている”という段階を凌駕しつつあることです。猿之助といえば四代目。もうその形が確立しているのです。もちろん一方で、先代が病に倒れた後から四代目襲名までの間、猿之助一座も公演を続け、右近丈をはじめ舞台にさらに磨きをかけていました。結果、澤瀉屋はまさに百花繚乱。長く見ているファンとしては、うれしい限りです。1月は『元禄港歌~千年の恋~』に出演予定。私も歌舞伎以外のナマ四代目は初めてなので、今から楽しみです。

※澤瀉屋の「瀉」のつくりは正しくは"わかんむり"です。

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