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ARCHIVES『THE NIKKEI MAGAZINE Ai』プレミアムクラブ会員向けメールマガジンその17「演技(1)」(2015年11月~2023年3月配信/文:Katsuma Kineya、編集:講談社、配信元:日本経済新聞社)

演技の決まり事の見どころと見せどころ

2019年10月11日配信

 あるときは気品漂う武家の息女、またあるときは鬼女であり、ときには水もしたたるいい男。そんなふうに、歌舞伎俳優は、七変化どころか性別も性格も年齢も、この世とあの世の境界線までをも越えて無数の役柄を演じます。その演技には、各家はもとより、俳優個人でもさまざまな特徴や工夫がありますが、そのなかで共通してみられるいくつかの決まり事をご紹介しましょう。

世界と趣向と綯交ぜ

 まずは、演技の拠って立つところとなる狂言そのものの、独特の決まり事から。
「世話物」は江戸時代の現代劇、「時代物」は江戸時代の時代劇です。つまり時代物は江戸時代以前の事件を題材とした狂言ですが、歌舞伎ではこうした題材のことを「世界」といいます。世界には、登場人物の役名や基本的な性格、人間関係から基本的な筋などまでが含まれます。
 それをどうアレンジするかが「趣向」。たとえば鎌倉時代の話でも江戸時代に置き換えて、絶対に存在しない大奥の女中や髷を結った侍が登場したりもします。
 また、複数の世界を組み合わせて狂言を作ることを「綯交ぜ(ないまぜ)」といいます。

俳優の持ち味を表す、ニン

 俳優自身の人柄、持ち味を「ニン」といいます。役柄が俳優のニンにぴったり合っているとき「ニンがいい」と表現します。

九世團十郎が確立した肚芸

 一般にも使われる肚(ハラ)芸はもともと歌舞伎用語。様式的な演技方法とは異なり、せりふや動作を抑えて心理描写をし、それでいて観客には心の内がしっかりとわかるように演じる技をいいます。確立したのは九世團十郎で、とくに、九世が創始した史実に基づく時代物「活歴」に生かしました。
「肚」は「性根(しょうね)」のことで、性根は役柄の本心、心情のこと。こちらも一般的に用いられる性根とほぼ同じ意味ですね。

女形が女性に見える秘密

 歌舞伎の歴史は出雲のお国の歌舞伎踊から始まったとされますが、女性による歌舞伎は寛永6(1629)年幕府に禁じられます。代わりに若衆歌舞伎が誕生するもののやはり承応1(1652)年に禁止、そして前髪を落とした成人男性の野郎歌舞伎が生まれ、やがて元禄歌舞伎へと発展していきます。男性がたおやかな女性に見えるのは、こうした長い歴史の間に培われた創意工夫によるもので、たとえば立ち方ひとつにも決まり事、「ワザ」があります。
 以前歌舞伎鑑賞教室で実演を見て印象に残っているワザにこんなものがあります。肩を後ろに落とし、肩甲骨を寄せると……。あらあら不思議、確かになで肩の女性らしい姿になるのです。ちなみに本物の女性でも、和装の際、衣紋掛けが着ているように見えたら、このワザを使うと女性らしくなります(笑)。内股も約束事です。
 もう一つわかりやすいのが、手の見せ方。手を小さく見せるのが高貴な女性のたしなみで、姫役は基本的にまったく手を見せません。実社会でも、写真がまだ特別なものだった時代の記念写真などを見ると、和服の女性は袖で手を隠して見えないようにしています。江戸時代なら、この所作を見るだけで育ちのよい女性とわかったことでしょう。
 泣くときの仕草も、姫役は袖の内で指をピンと伸ばして美しい所作を見せますが、町人の老女役なら手ぬぐいをクシュッとつかんだ手を目元に当てます。手の使い方も、年齢や身分で、決まり事を踏まえながら演じ分けが行われるのです。

 次回は役柄と演技の関係についてご紹介します。

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』大島真寿美著・文藝春秋、歌舞伎公演筋書)

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演技と立役の見どころと見せどころ

2019年11月8日配信

 『秀山祭九月大歌舞伎』ではまたまたかわいい初お目見得がありました。歌昇の息子綜真くんです。歌昇は又五郎の息子。秀山祭の名は初代吉右衛門の俳名に、興行月は命日に因んでいます。今年はさらに三世中村歌六の百回忌も兼ねており、孫にあたる二代目吉右衛門と五代目歌六、三代目又五郎が、追善狂言の『伊賀越道中双六』「沼津」などに出演しました。前置きが長くなりましたが、この「沼津」で吉右衛門が演じている十兵衛の演技様式は“和実”といいます。

和事、実事、和実

 “和実”は“和事”に“実事”を加えた立役の演技様式です。では“和事”とは何かというと、いわゆる優男の役どころで、顔は白塗り、なよなよとしていて不甲斐ないお坊ちゃま。放蕩の果てに落ちぶれてしまうこともあります。これを“やつし”といいますが、元禄期に上方で、初世坂田藤十郎が、傾城買いの狂言できわめました。羽振りのいいときには着流しの着物を長めに着ていそいそと廓に通い、落ちぶれるとつぎはぎの紙衣(かみこ)を着るのですが、品の良さは隠せず憂いもあり、かえってイイオトコに見えるわけです。一方で、“和事”はお坊ちゃまぶりが高じて、笑いを誘う場面もあります。コメディもこなせる実力が問われます。
 対して、“実事”は実直な武士や立派な町人。真面目で誠実な大人の男性です。苦難に遭っても慌てず騒がず、落ち着きと風格をもって対処していきます。白塗りで、髪型はピシッとした生締。たとえば武士なら『仮名手本忠臣蔵』大星由良之助、町人なら『極付幡随長兵衛』幡随院長兵衛。後者は通称「湯殿の長兵衛」で、この長兵衛はもともと九世團十郎にあてて書かれたものです(下図)。初世吉右衛門も得意とし、生涯で29回も演じました。9月の秀山祭では幸四郎が男盛りの長兵衛を演じています。
 ちなみに、こうした“〜事”に“師”をつけると、その演技が得意な役者を表します。“実事師”なら実事が得意な役者。とはいえ、現在では、歌舞伎以外の舞台やテレビ、映画などを含めて、さまざまな役を演じ分けられる俳優が多いので、“〜事師”という表現は、歌舞伎の筋書などでは、ほとんど目にしません。
 冒頭の“和実”の十兵衛は大店の旦那で艶のある独身貴族。女性に一目惚れして笑いを誘ったり、男気のあるところを見せたりと、まさに“和事”と“実事”が混在する役です。

様式化された演技

 歌舞伎といえば様式美が大きな魅力の一つです。その核となる演技には型があり、観客も「ここで見得だな」とか「ここは飛び六方で引き込みだ」「さあ今から長いくどきに入るぞ」など、約束事を心得ていて、期待しながら待つこともよくあります。いちばんわかりやすいのが“荒事”です。
 たとえば見得。たまに見るくらいで、歌舞伎にのめり込んでいなくても、このあたりで見得だなとおおよその見当がつきます。拍手をすると舞台に参加した気持ちにもなり、観客が俳優との一体感を感じやすい演技様式です。型が決まっているからすぐにでもできそうな気がしますが、見得こそ歌舞伎ならではの“間”の問われる演技で、舞踊や邦楽の鍛錬も含め、経験を積み重ねないと、肩すかしを食らうような出来になります。とはいえ、だんだんとサマになっていく過程を見られるので、それも歌舞伎の醍醐味ですね。
 見得以外にも六方やつらねなどの表現方法があり「七、八歳の子供の心で演じよとか、くくり猿のように体を丸くして演じよといった心得が伝えられて」*います。“荒事”は、敵役でも用いられます。

演技力がものをいう辛抱立役

 立役のなかには、じっと我慢する辛抱立役という役柄もあります。派手な動きがあるわけではないので、黙って耐えながらもオーラを漂わせなければならない、難しい役柄です。

 次回は敵役の演技を中心にまとめる予定です。

歌川国貞(3世)、井上 茂兵衛『[極付幡随長兵衛]』、明治20(1887)年、画中文字「幡随院長兵衛 市川団十郎」/東京都立図書館所蔵「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)」収録 ※画像は周囲をトリミング、配信時画像から変更

(参考資料:『新版 歌舞伎事典』平凡社*、『歌舞伎ハンドブック』三省堂、『岩波講座 歌舞伎・文楽 歌舞伎の歴史Ⅰ』岩波書店、『歌舞伎の解剖図鑑』エクスナレッジ、『歌舞伎 家と血と藝』講談社、『かぶき手帖2019年版』日本俳優協会・松竹・伝統歌舞伎保存会、歌舞伎公演筋書)

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