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勇気の言葉と呪いのコトバ

この間、ふときづいたんだ。
いつの間にか、自分で自分に“呪いのコトバ”をかけているって。

【呪いのコトバ】

“呪いのコトバ”って、どういうことかというとね。

過去の経験からくる「勝手な思い込み」かな。
ワタシはそんな風に捉えてます。

前にうまくいかなかったから今回もきっと同じ結果だろう…って、まだ起こってもいない未来を勝手に過去の記憶に当てはめる。

私たちはどうやら…
経験が増えてくるとね、本質がどこにあるかを考える前に「あ、これ知ってる。こういうことだよね」って、類似した出来事と同じラベルを貼ってしまう傾向があるようだ。

これ、何でだろうってよーく見てみたんだよね。

そしたら、それってつまり
“傷ついた心”
が思考の足を引っ張って邪魔してるんだなぁって。

そんな風に感じたんです。
それと同時に

“傷ついた心”をまだ終わりにできていないだ。

ってことにもね。

何で終わりにできていなかったのか。

それは、がまんしてしまい込んで来たから。
辛い・悲しい・悔しいと他人には言ってはならぬ
と教えられてきたから。
(ワタシのばあいね)

でもね、この前
心友に「つらかったね。悲しかったね。悔しかったね」って話を聞いてもらってね、

「この気持ちを外に出してもいいんだ」ってわかったらすごく緩んだんだよね。

ちょっとお話が逸れたようで
実はすごく重要な部分へ来たんだけど。

“呪いのコトバ”の種(タネ)はここなんだなぁって。 根源とも言うかな。
終止符を打っていない“傷ついた心”“傷ついた記憶”。 ここにあるんだって。

呪いのコトバを出さないようにするのには
⚪︎傷ついた心や記憶に終止符を打つこと。
⚪︎タネを育てないこと。
呪いのコトバが出てきちゃったら、どこにタネがあるか探してみること。

それだけで“呪文が解ける”んだよね。

ワタシは呪いのコトバに変換してしまうタネがたくさんありました。

話をしたくても、聞きたくても
遠くにいってしまった人

理由もわからず 遠くにいってしまった人

知らない間に悪者扱いを受けていたこと

それはそれは色々ありました。
まぁ書ききれない。
書ききれないほど溜め込んできました。

でも、こうやってnoteに書き出して発信してみたり、誰かに聞いてもらったりすることで“終止符”を打っているんですね。きっと。

そこからまた走りだせる。

【勇気の言葉】

勇気の言葉ってね、時間軸で言ったら“未来”なの。
そして、それは外側からやってくることが多い気がします。

外側からと言うのは、周りとの変化とか仲間からのフィードバック。
つまり、自分のまわりの人たちからもらう「giftの言葉」かな。

これ、なんかさ、応援とは違うの。
応援って、漢字の元を辿ると“差し伸べる”とか“救う”とかって…なんか他人軸な部分があって。
そこに応えるというのではなくて

そっと“そばにいる”そんなイメージ。
自分1人では気づけなかったことを、giftとして伝えてくれる。
呪いの種が芽を出しそうなときに、摘み取るサポートをしてくれる。

こんな風に感じてる。
だからね、勇気の言葉の力を活用するにはちゃんと自分のアンテナを整えておかなきゃ受信できないんだよね。

そのアンテナをどこにセットする?
これは自分で選べるよね。
ラジオの周波数を合わせるように、タイムマシンでどこへ行きたいかを自分でセットできるように。

あなたの人生のゴールをどこへ置くのか。
それをセットするんです。

アンテナをセットするって言っても
受信機が不調だったらピュアな情報がきちんと入ってこないよね。

だからこそ、自分をきちんと整えるって
大切です。先ずはそこから。

そして、整えるためには、自分を知るところから。

そんなシステムから
整えるところまでお伝えしています。
ご興味があれば、ぜひご連絡くださいね。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました♪

Lea(希望や喜び)の架け橋
nalu(喜びが波のように何度も訪れる架け橋に)

Lea架nalu✴︎Katsuki でした。

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