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人生をワクワクさせるものとしての「英語力」

 アメリカ留学の経験から、「英語」とは「目的」でなくて、自分を鍛えるための「手段」であると言いたい。
 
 日本人が英語が苦手なのは、中学・高校の英語教育が、「英語を使って自分の世界観を広げるワクワク感」を実感する内容になっていないからだと思う。
 「英語ペラペラ」「文法100点」である必要はない。辞書を引きながらでも、取り敢えず「読む」ことができれば、そこから面白い世界が開けるのである。

情報の海に飛び込む


 まず、英語で得られる情報量は、日本語のものと比して何十倍も大きい。

 例えば、留学中、英語で論文を書くとき、資料集めに苦慮することはほとんどなかった。というのも、英語でネット検索すると、書籍、学術雑誌など、日本語よりもはるかに多い幅広い情報源にアクセスできるからだ。
 『ネイチャー』や『サイエンス』といった科学雑誌はオンラインで記事が読めるので、科学史の授業でNASAの惑星探査について調べた時など大変重宝した。同等の情報を日本語だけで探そうとしたら、不可能であったと思う。

未知の考え方に触れる


 また、英語を使うということは、日本にはないモノの考え方にアクセスするということでもある。
 例えば、国際関係・国際法の研究がアメリカで盛んなのは、「戦後の国際関係はアメリカが先導してきた」という現実があるからである。
 したがって、英語で検索すると、国際関係・法に関する論文が、山のようにヒットする。それらを読むことで初めて、現在世界で主流になっている「世界秩序観」なるものを知ることができるのである。
 
 さらに、英語の情報源を通して、日本を再発見することもできる。留学中に日本史の授業をとる機会があったのだが、西洋の学者達が、日本という異国をどのように理解しようとしてきたのか。非常に面白かった。
 同じ出来事を説明する時に、日本の学者と西洋の学者では違う概念を使用していることがある。英語の文献を読むことで、彼らの「オリジナルな発想」「日本研究にかける情熱」のようなものを感じることができ、非常に面白い。

 英語学習において、小手先の英会話テクニックとか英文法とかに終始するのはもったいない。
 以上のように、英語力を活かして、質の高い情報、日本語では手に入らない情報にアクセスし、自分の知識を広げたり、日本にない新しいモノの見方に触れたりする。
 このプロセスにワクワク感を覚えることさえできれば、英語が嫌いになるはずはないと思うのだが、どうであろうか?


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