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ミニシアターの“余白” SAVE THE CINEMA緊急特番

今回、SAVE THE CINEMAのステートメントを受けて、緊急特番を収録しました。
この時期にお集まりいただいたゲストの方々に感謝致します。

この動画を見ていただきたく、この文章をつらつらと書いています。
SAVE THE CINEMA 日本独自の映画文化“ミニシアター”を語る!! 活弁シネマ倶楽部#82

ミニシアターの“余白”

地方出身者の私は、大学で上京して初めてミニシアターという文化に触れました。
右も左もわからず、とりあえず都内のミニシアターを巡りました。

渋谷に近い大学に通っていたので、
UPLINKに映画館の概念を変えられ(アレハンドロ・ホドロフスキーに出会い)、
シネマヴェーラの二本立て上映に通い(ジョニー・トーに出会い)、
背伸びをしてル・シネマに入り(ケン・ローチに出会い)、
シアターNでホラー映画を貪り(パスカル・ロジェに出会い)、
ユーロスペースに緊張せず入れるようになり(フレデリック・ワイズマンに出会い)、
オーディトリウム渋谷で日本のインディーズ映画を知り(富田克也に出会い)、
シアター・イメージフォーラムまでの道のりを楽しむようになり(イエジー・スコリモフスキに出会い)、
シネマライズに憧れていた渋谷の匂いを感じ(アピチャッポン・ウィーラセタクンに出会い)、
少し考えただけでも、途方もなく豊かな映画体験を享受してきました。
都内の他のミニシアターを加えたら...自分の映画史はミニシアターによって書かれていることは間違いありません。

映画的教養に憧れていた当時の私は、とにかくミニシアターに通っていました。
もちろんお金も無かったので、DVDで観た作品も多かったのですが、記憶にこべりついて離れないのは映画館で観た作品ばかりです。
例えば、
黒坂圭太監督『緑子 MIDORI-KO』はUPLINKで、
パスカル・ロジェ監督『トールマン』はシアターNで、
ヤン・イクチュン監督『息もできない』はシネマライズで、
ゲオルギー・ダネリヤ監督『不思議惑星キン・ザ・ザ』はシネマヴェーラで、
ワン・ビン監督『無言歌』はオーディトリウム渋谷で、
それぞれ初めて観た時の衝撃が今でも忘れることができません。

ミニシアターの定義とは?
今回の活弁シネマ倶楽部の動画の中で、森直人さんも明確に定義されていますが、「日本のインディペンデント映画上映運動から独自に広がった」日本オリジナルの映画文化です。
「“映画館”と“ミニシアター”は違う」という徐昊辰さんの発言は、非常に示唆的です。

いつの時代も映画館で上映される作品は、世界中にある映画の一部です。
映画館の数、スクリーンの数によって、上映される映画の数は制限されてしまいます。
そして、大ヒットを見込めない小さな映画は、映画館での上映という網目からすり抜けてしまいます。
ミニシアターはそんな状況への抵抗運動としてスタートし、映画の多様性を広げていきました。

それぞれのミニシアターが、それぞれが素晴らしいと信じる映画を上映することができる余白、この余白こそが文化的多様性の拠り所であり、その余白は後世にとって大きな意味を持ちます。
この“余白”が無ければ、若く新しい才能が芽を出し、花開くことは無いからです。
現在日本で活躍されている映画人の中で、ミニシアターが死守し続けてきた“余白”の恩恵を受けていない方はほとんどいないはずです。

コロナ禍で失われつつあるのはこの“余白”です。
補償無き自粛はいともたやすくこの“余白”を奪い去っていきます。
この“余白”は自明のものではありません。長い歴史の中で多くの人が声を挙げ、アクションを起こし、獲得してきた成果であり権利です。彼ら彼女らの勇気の産物です。
簡単に手放して良いものではありません。

当然のことですが、個人の支援には限界があります。
また、動画の中で徐昊辰さんも述べられていますが、コロナウイルスが終息してミニシアターが個人の支援で生き延びたとしても、また別の新型ウイルスに直面してしまったら同じことの繰り返しです。
だとすれば、何をすれば良いのでしょうか?

長い歴史を持つミニシアターは過渡期にありました。何かが変わろうとしていました。
もしミニシアター文化の中で、未来へ残すべきでない因習があるのであれば、それをそのままコロナ禍以降に持ち込むべきでは無いはずです。
ミニシアターの“余白”は現状維持によって創られたものではなく、いつの時代も現状に憤りを感じ、声を挙げ、映画を楽しむ観客と映画を創る映画人へのリスペクトを持った人々によって更新されてきたものだと信じています。
ミニシアター文化の恩恵を受けてきた一人の映画ファンとして、微力ながらこれからも考え続けていきたいと思います。

また、動画の中で最後に森直人さんも明言されていますが、今回の事態に対して「映画」「ミニシアター」だけを特権化することは望みません。
私は映画を、映画文化を、ミニシアターを愛する人間として、今回の運動に賛同しますが、だからといって他のエンタテインメント、藝術より映画を上位にすべきではないからです。(もちろん他の職業との比較においてもです。)

もちろんこれは、「生きる上でエンタテインメントや藝術は二の次、三の次で良い」ということを意味していません。これには絶対的に抵抗します。
ドイツのモニカ・グリュッタース文化相が鋭く指摘したように、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要」なのであり、「文化機関や文化施設を維持し芸術文化によって生計を立てる人々の存在を確保することはドイツ政府の文化的、政治的最優先事項」なのです。

そう、これは“政治的(=人間の生存に関わる)”問題です。単純に日本の映画文化、藝術文化だけの問題ではないはずです。

正解は見えていません。誰かが正解を出してくれるなら、既に正解が用意さているならこんなに簡単なことはありませんが、きっとそれは叶いません。
誰もが未来を想像しにくい状況の中で、何が正しいのかを考え続け、新しい正解を創っていくしかないはずです。
後出しで「あの時のあれは愚挙だった」などと嘲笑されるかもしれませんが、そんな嘲笑は本当にくだらないし、それこそ過去に置き去りにしていきたいと思っています。

最後に繰り返しになりますが、ミニシアター文化の恩恵を受けてきた一人の映画ファンとして、勇気ある方々の支援に賛同しつつ微力ながらこれからも考え続けていきたいと思います。

【ミニシアター支援活動】

SAVE THE CINEMA Twitter

SAVE THE CINEMA 署名

change.org/save_the_cinema

Mini-Theater AID Twitter

Mini-Theater AID クラウドファンディング(4月13日スタート予定)

仮設の映画館

全国のミニシアター援助方法まとめ

Save our local cinemas/関西劇場応援Tシャツ販売

文責:菊地陽介(活弁シネマ倶楽部プロデューサー)

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