にっぽんの地方自治:中央集権のバランス推移を振り返ろう

●●はじめに●●

・このnoteではこんなことを書きました
→日本の地方自治:中央集権の推移を歴史で振り返っています

・こんなことを伝えたい
→歴史を通して見ることで今の地方自治法を理解する材料になるといいな!と思っています

・大まかな流れ
1)江戸時代:高度な地方自治(ゆるやかな中央集権)
2)明治初期:中央集権化(国民国家化 植民地政策 富国強兵)
3)明治-大正:地方自治の育成期(自由民権運動 不平等条約撤廃)
4)昭和(戦前戦中):中央集権化(太平洋戦争)
5)昭和(戦後):地方自治が憲法に


・地方自治法のよくある誤解
よくある誤解として、「地方自治法って、地方にある程度の自治権を認めるだけの法律でしょ?」というもの。
もちろん、それは誤解。
現行の地方自治法がどのような経緯で制定されたか歴史を振り返ると誤解が解けると思います。

・有識者の皆様
このnoteは一介の会社員である私が約一ヶ月、地方自治法に興味を持ってさまざまな資料に当たった結果、知見が蓄積されたので、シェアを試みた記事です。専門家ではないので、事実や認識の誤認は当然あるものだと思っております。お気づきの点がありましたら(できれば優しく)是非ご指摘、御指南いただけるととても嬉しいです。
多くの人と共感したいので、教科書に掲載されている歴史をベースに記載しています。その点で疑義のある方もいると思いますが、ご理解いただけると幸いです。


●●ここから本編●●
地方自治法?
”地方の政治は地方でどうぞ”というだけの法律でしょ??
と思っていた私が、
多分同じ所感のあなたに送る、地方自治の物語です。

せっかくなのでシェアしたいとと思います。


さて物語は、江戸時代に遡ります。

江戸幕府は、藩に広範囲の自治権を認めました。
行政権や司法権だけでなく、藩が徴収した税を藩で使うこともできたので、多くの城下町には活気がありました。
地方に自由な裁量を与えた一方で、幕府は藩に対して、参勤交代(人質制度)等で反乱を防ぐ工夫もしていました。

藩を構成する村・集落の単位でも地方自治は広く認められていました。
合議制度(寄合)、警察、消防、インフラ整備などです。
また集落でも、反乱や租税逃れを防ぐ為の仕組み、五人組(連帯責任と相互監視)制度などが敷かれていました。

つまり江戸幕府は、地方独自の発展を促進する為、地方自治を広く認めながらも、内乱を防ぐ仕組みを駆使して統治していました。
このような統治政策ができたのは、日本列島が海に囲まれていて、外国からの脅威が極めて少なかったからです。例えば日本が陸続きで外敵の脅威がある環境下であれば地方と中央のバランスは変わったいたでしょう。

こうして江戸幕府は300年以上も続きます。

しかしその間に、西欧諸国では市民革命、産業革命が起こり、資本主義化が進んでいきます。産業革命に成功した西欧諸国は、経済力、軍事力、船舶技術を背景にして、商品を販売するためのマーケット、原材料・労働力の獲得を目指して、アジア、アフリカ、南米に侵攻していきました。

やがてその侵攻は、日本にも及んできます。

ついに外国からの脅威がやってきました。
しかし江戸幕府の統治システムでは、外国からの脅威に対応できません。

ここで明治維新が起こります。

江戸幕府がなくなり、明治天皇を中心とした新政府ができました。
新政府は、西欧諸国の脅威に対抗する為、バラバラだった国内を一つにまとめて、一致団結、富国強兵政策を進めることを選択します。
(国民国家化したことも大きいですが割愛!)

版籍奉還で、藩に属していた戸籍を国が管理することになりました。
廃藩置県で、藩が消滅。国の管轄に置きました。
徴兵制度で、国民を軍隊に徴兵できるようになりました。
義務教育もはじまりました。

他にも多岐に渡りますが、つまり地方自治を大きく抑制して、中央集権を強化してくことで、リソースを国力向上に集中させていったわけです。

その後、日本は近代化に成功して日清戦争、日露戦争に勝ったことで西欧列強に肩を並べることになりました。

次の段階として、徐々に地方自治が醸成されていきます。
市町村の権限も拡大し(法人化)、
自治体の議員、市長を選挙で選べるようにもなりました。

明治から大正にかけての時期に、地方自治はぐんぐん成長していったわけです。

しかし昭和に入り戦機の高まりと共に、日本は再び地方自治を大きく抑制して、中央集権化を選択します。
府県も国の出先機関として国の行政執行を強く主導しました。
地方総督府を設置し中央が兵力・食糧・働力などの資源を直接管理するようになりました。
中央集権化することで、国のリソースを戦争に全て集中、つまり総力戦体制です。
このような総力戦体制こそ超中央集権化ともいえるでしょう。


敗戦後、GHQ主導で新しい憲法が作られることになります

GHQは地方自治は大切なテーマのひとつとして捉らえていました。
「占領開始当時の日本における地方行政組織は、地方自治とはおよそ かけ離れたものであった。その性格は極めて権力的なものであり、地方公共団体は中央政府 の手足に過ぎなかった」さらに「日本人は中央集権が当たり前だと思っている」と評されました。※

つまり、大日本帝国下では(民主主義国家における)地方自治が本質的に機能していなかったと云われたわけです。

ここではじめて憲法に地方自治を保障する条文が載りました(憲法8章)

国から独立した地方自治
その自治体の主権を住民がもつこと

これは、地方の政治は地方で処理する、という意味だけでなく、
たとえ中央政府が混乱した場合でも、自治体の権利が保障され住民が選挙で政治に参加していれば住民の生活は脅かされない、つまり安全装置としての役割も担っているとも言えます。

さらに意訳すると、私たちの日々の自由な生活を守る為に地方自治の権利が憲法で護られているといえるでしょう。

余談ですが、同じく敗戦国であったドイツは、
中央政府の暴走を反省し、今後同じ過ちを繰り返さないために、地方分権の制度が日本より強固になっています。
その結果、現在は制度的にも経済的にも住民の意識も”強い地方”がドイツを形成しています。

さてここまでのが地方自治と中央集権の関係の歴史です。
(昭和ー平成の流れも面白いのですが、今回は割愛!)


2024には地方自治法が改正されます。
流れがわかると見え方も変わると思います。
ぜひご参考までに。



参考資料

地方自治法制度の要点 武庫川女子大学経営学部教授 金﨑 健太郎
https://www.jamp.gr.jp/wp-content/uploads/2020/10/135_03.pdf

きみは憲法第8章を読んだか 大前研一書 小学館
https://www.amazon.co.jp/%E5%90%9B%E3%81%AF%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC8%E7%AB%A0%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%8B-%E5%A4%A7%E5%89%8D-%E7%A0%94%E4%B8%80/dp/4093798869

※戦後地方自治制度の創設期(1946-1951年) 松藤 保孝 高崎経済大学地域政策学部教授
https://www.clair.or.jp/j/forum/honyaku/hikaku/pdf/HD_JLG_5_jp.pdf

江戸時代の地方都市にあった活気を取り戻す首都機能移転
https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec112.html


※1 NHK高校講座 列強の東アジア進出は日本にどのような影響をもたらしたのだろうか
https://www.nhk.or.jp/kokokoza/r2_nihonshi/assets/memo/memo_0000008815.pdf

※2 世界の歴史マップ 明治政府と中央集権の強化
https://sekainorekisi.com/japanese_history/%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%9B%86%E6%A8%A9%E4%BD%93%E5%88%B6%E3%81%AE%E5%BC%B7%E5%8C%96/




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