【電気湯伝記#02】 このまちなみは美しいのか (24/01/25)
こんにちは。1993年10月10日生まれ、180cm、82kgの大久保です。打ち敗れたエヴァンゲリオンを想起させるほどの痩せ型だったことがコンプレックスで、最近はトレーニングをしつつ増量しているのですが、加齢とともに代謝機能が衰え、プロレスラーのような体型になりつつあります。毎冬に履いていたコーデュロイのチノパンツが入らなくなりました。チャックすら閉まりません。
今年の目標「noteを毎週更新する」をやっていこうかと思いますが、更新の期限である1月21日(日)を大きく超えてしまいました。2回目からこんな調子では先が思いやられます。この目標をおっ立ててくれた副店長からは「目標を下方修正しますか?」などと言われてしまう始末です。
気を取り直し、今日は前回に引き続き電気湯伝記#02です。前回の最後に「結局なんで銭湯が必要と思ったか書きます!キャッキャッ」とか言っていたのですが、色々と考えたり振り返ったり書いたりしたらどんどんとドリフトしていってしまったので、気にせず書きます。とてつもなく迷走した文章になる予感がしますが悪しからず。すみません🥺◾️
「惨憺(さんたん)たる光景」
駅から家までの道中、急にぽっかりと、歯が抜けたみたいに目立っている空き地に遭遇したことはありませんか。「あれ、ここ何があったんだっけ」などと思いながら通り過ぎ、家の鍵を開けるころにはもう忘れてしまって、毎日毎日同じ道を通っているのに、そこに何があったのかすら思い出せないし、特にそこまで気になるわけでもない。そうして過ごしているとまた新しくて没個性的なマンションができて、「あれ、ここ新しいマンションできたんだ」などと思いながら、また通り過ぎては忘れ、そうしていくうちに、だんだんと自分の住んでいるまちがなんだか遠くて見知らぬまちのようになって、自分が住んでいる気がしなくなって「ここよりもあそこに住みたいな」とか言って、また同じようにまちを味わう。
市町村の合併とか、小学校の統廃合とか、そういうのを多くの人々は「地元がなくなる」とか呼ぶのだろうけど、僕にとっては、(幸か不幸か)こういう風景が毎日少しずつ削り取られていくことのほうがよほど深刻な事態のように感じていました。(余談ですが、僕が通っていた小中高は全て僕の世代の卒業と同時に校舎が更新され、あのころの思い出を空間とともに振り返ることすら難しくなってしまいました。)弔われることもなく、気づかれることもなく、忘れ去られていくささやかなまちなみと、そこで暮らしていた人たちの記憶。電気湯があるまちは、まさにそうやって風景が削り取られてゆく真っ只中にあります。◾️
研究者や実務家によるまちなみへの批判で使われる言葉は、ある程度抽象化してしまえば一様なものであることが多いです。つまり、そういった「再開発され続けた風景」が「単純で画一的」であり、「多様性に欠ける」と。◾️
1985年に出版された書籍『スラムとウサギ小屋』(布野修司, 青弓社)の冒頭では、この開発が続く生活空間について、以下のようなことが書かれています。
(註:『スラムとウサギ小屋』は絶版本ですが、個人的に最も好きな本ベスト10には入るくらい素敵な本です。国会図書館デジタルライブラリーから読むことができますので、未読の方はぜひ読んでみてください。こちらのページから、「収録元データベースで確認する」で遷移したサイトでログイン/もしくは国会図書館への会員登録をすれば全文無料で読むことができます。)◾️
「このまちなみは美しい」
「リーズナブルなメカニズムの集積する巨大な構造」によって作られた「混沌にして画一的な住宅地」という言葉が想起させるものは、本当に戸建て住宅が建ち並ぶ風景だけでしょうか。戦後、焼け残った建材だけで作られた長屋が一帯に建ち並ぶ風景は、戦後の混乱と欠乏という「リーズナブルなメカニズムの集積する巨大な構造」によって作られた「混沌にして画一的な住宅地」ではなかったのでしょうか。
実態は異なれど、その異なる二つの風景が同じように形容されるのであれば、僕は何をもって「一戸建て建売住宅ではなく、長屋が建ち並ぶまちなみが好き」と言うのでしょうか。両者で決定的に異なるであろう建材や建具が、「このまちなみは美しい」という言葉の根拠であるならば、「惨憺たる風景」と僕の好きなまちなみを区別するものは住宅を構成する建材や建具の話でしかないのでしょうか。これら二つの風景を隔てるものは、形容のされ得ないものなのでしょうか。◾️
さて、この「惨憺たる風景」と言い表せられる都市環境は、アンリ・ルフェーブル『空間の生産』(斎藤日出治 訳·解説, 2000年, 青木書店)とジュディス・バトラー『戦争の枠組 ― 生はいつ嘆きうるものであるのか』(清水 晶子 訳, 2012年, 筑摩書房)の言葉を借りると、以下のように記述することができます。
「あのまちよりここが好き」というような感覚を僕の中に生じさせるものは、功利主義的な尺度で人間生活が推し量られ、僕たちの生活空間が商品として切り売りされ交換価値へと還元されていくこと、そして、その枠組から放り出されながらもそこで生きることを強いられる他者がいるということへの違和感だったのです。◾️
均質化された「予測しえない他者を枠外に放置する」空間について、建築家の原広司は『住む 〈ふるさと〉の環境学』(谷川俊太郎 編, 1979年, 平凡社)で以下のように述べていました。
文中では、「住む」ことを主題にしつつ、ユニバーサル空間を採用するオフィスビルについての杞憂として述べられたものでしたが、再開発された果ての生活空間の記述として読んでも的を得ています。誰もが異なる人間が最大公約数的に要素に還元され、計画された空間において「こうしなさい」という通りの生き方・過ごし方を強いられる空間がつらなるまちなみがいたるところで形成されるさまは、僕たちの「住む意思」を徐々に蝕んでいっているのではないかと感じています。◾️
少し戻りますが、当時の不良住宅が立ち並ぶ風景が形成されていく推力について、布野は『スラムとウサギ小屋』で以下のように記述しています。
この、「住む意思」が滲み出てくるような、そしてその滲み出た質感を頼りに「ご近所」といった弱いつながりを保ちつづけることができるまちなみと、「他でもないこの私のもの」としての住空間を可能にするまちなみ、予期不可能なものを許容しうるまちなみを、僕は「美しい」と呼びたい。そしてそれらが顕在化している京島の今のまちなみとその生活文化は、決してなくすべきではないと強く思っています。◾️
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