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トップアスリートへのインタビュー履歴

トップアスリートへのインタビューをたくさん経験したことで、多くのことを学ぶ事ができた。どんなふうに学んでいったのか、昔話を紐解いてみる。

初期に一番お世話になったのは、名古屋グランパスの浅野哲也さんと中西哲生さんだ。とにかくこの2人に話を聞けばいつも必ずいいインタビューとなったので、すごく助けられたし、自信にもなった。僕の拙い質問でもすぐに意を汲み取って答えてくれる。嫌な顔一つしない。それが人柄によるものなのか、頭の良さなのか、あるいはその両方なのか、とにかく「コメントが程よく短く」「イエスかノーかはっきりしていた」。程よく短くは、テレビにおいてはものすごく重要だ。テレビの勝手な理屈で恐縮だが、テレビ画面の下位置2行で綺麗に文字が収まる量。これがとてもありがたい。イエスかノーも、意外にはっきりしないことが多い。でもそれは当然で競技には相手があり、勝利や敗北の原因は自分のせいでもあり、相手のせいでもあるからだ。僕がうまくプレーしたけど、相手に助けられた面もある。こう答えられると、要するに自分が良かったのか悪かったのかあいまいだ。そこをグッと堪えて、良し悪しをはっきりしてもらうと、インタビューのやりとりもスムーズになり、コメントもとてもわかりやすくなる。

浅野さんと中西さんは、いつも答えがはっきりしていた。お二人のコメント力の高さは、現役引退後の活躍からもよく分かる。これが僕のトップアスリートへのインタビューの出発点だ。

その後、大きな壁が立ちはだかる。名古屋グランパスの当時の王様、望月重良さんだ。同い年のスター選手。すぐに打ち解けたがインタビューは難航した。できるだけイエスかノーかはっきりするような質問をしてみるのだが、こちらが質問を練れば練るほど響かない。素晴らしいゴールでしたね?と聞けば、あれぐらいは普通です。ディフェンスが良かったですね?と聞けば、その前に攻撃がよくなかったからダメだった、となる。小学生から大学まで、全てのカテゴリーで毎年のように全国優勝を果たし、日本代表まで上り詰めピッチの王様と称された男は、なんというか天邪鬼というか、想像の斜め上をいくというか、こちらが何か意図すると、その裏をいく男だった。イエスノーははっきりしている。ただそれがこちらの意図と同じにならない。時間をかけてたどり着いた境地は、言わせたいことを聞くのではなく、言いたいことを言ってもらうだった。望月さんは、SC相模原の代表として、今年からJ2を舞台に闘う。誰よりもクレバーで、力強く我が道をいく彼なら、もっともっと上り詰めると確信している。

次の担当競技はプロ野球。中日ドラゴンズだ。一番取材したのはアライバである。駆け出しの記者は、スター選手を取材する先輩の後ろでまずは駆け出しの選手に注目する。僕の場合はそれがたまたま井端弘和さんと荒木雅博さんだった。井端さんは天邪鬼タイプで、イエスノーはあまりはっきりしていなかった。ただいっぱい話を聞き、いろいろ野球について教えてもらってからは、僕の質問が次第にツボにハマるようになり、たくさんの素晴らしいインタビューができたと思っている。荒木さんは天邪鬼ではないが、とにかくコメントが短かった。こちらの質問がハマると、すごくいい顔で「そうそう!そうなんです!」で終わってしまう。テレビ的にすごく困った。なんとかご自身の言葉で話してほしい。そう思えば思うほど、言わせるインタビューになり、そうなると荒木さんの表情が曇る。でもだんだんわかってきた。いい表情こそが、どんな言葉にも勝る宝物であるということが。心のないそれらしいコメントよりも、実感極まる最高の笑顔の「はい!」の一言の方が視聴者の心に刺さると考えるようになった。あとはその短いコメントをどう編集で引き立たせるか。インタビュー力よりも自分の制作能力を磨くべし。そんなことを教えてくれたのがアライバだった。荒木さんは今、ドラゴンズのコーチで、井端さんは解説者。いつか二人揃って再びドラゴンズのユニホームを着てほしいと願わずにはいられない。

そして、次なる担当競技。フィギュアスケートと巡り合う。2003年のことだ。バンクーバーオリンピックまでの期限付き担当だと思っていたが、今なお続けて取材をしている。どの競技よりも圧倒的に長い取材期間となった。そこでは、入社以来培ってきた僕のインタビュー力が全然通用しない、そして新たな境地へと導いてくれた史上最高のトップアスリートを担当した。

浅田真央さん。

現在進行形で続いている真央さんへのインタビューについては、またいつかまとめてみたいと思っている。

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