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日本では致命的なミス 実はぜんぜん平気かも。。。

僕はアメリカの製薬会社で働く日本人研究者です。アメリカに渡ったのは、すでに37歳になった時でした。それから20年近くアメリカで働いてきました。37歳になるまでは、海外旅行以外に外国へ行くことはなかったので、全ての学校教育と最初の12年間の社会人として経験は、日本でつちかったものです。おかげで英語では苦労していますが、日本で受けた教育、社会人としての常識・経験は、今でも僕の宝になっています。

日本の学校教育・社会人教育の素晴らしさ

アメリカに来てから、自分のパフォーマンスが好評価される際に、よく言われることが「Katsuは、Work Ethicsが非常に高い」です。「労働倫理」と訳すと、あまりしっくりいきませんが、どうしてWork Ethicsが高いと評価してもらえるかというと、日本で働く時には当然できていなければならない大原則が体に染み付いていて、それが自然とできているからです。
それは、日本で働く際には、基本中の基本のことです。

  1. 約束を守る

  2. 時間・期限を厳守する

  3. いったん決まった方針をとことん守る

  4. 自分の仕事だけでなく、周りのことにも気を遣う

  5. 礼儀正しく、助けてもらったら感謝する

こんな基本的なこと、世界のどこに行っても、仕事をする上では常識でしょ?と思われるかもしれません。でも、実はアメリカではこれができていない人が多いために、日本で素晴らしい学校教育と社会人教育を受けた日本人である僕が、パフォーマンスを評価される際に、一目置かれ、高評価を受ける理由となるのです。

このことは、日本人である僕がアメリカで生き残っていく際の強みであり、これからも大切にしていきたい貴重な財産です。
でも、逆に考えることもできます。

日本では致命的なミス

日本では、これらができなかった際に、それを致命的なミスとして、自分で自分に落第点をつけて自尊心を傷つけたり、上司に叱責されたりすることが多いのではないでしょうか?

  • 仕事上で上司・同僚や取引先と交わした約束を守れなかった

  • 期限内に担当の仕事を完了できなかった

  • いったん決まった方針を大きく変更せざるを得なくなった

Work Ethicsが高いがために、いったんこれらの基本が守れない事態が起こると、それをとんでもない大きな失敗・致命的なミスと捉えてしまいます。それによって、がちがちになり、余裕なく、リスクを取って楽しく働くことが難しい環境を作り出しているかもしれません。

アメリカでは、ぜんぜん平気かも?

アメリカに来て、さまざまなバックグランドの人と働くようになり、僕の考え方も変わりました。日本では致命的なミスと捉えられることも、こちらではぜんぜん平気かも?

時には約束も破ってもいい

ある時、僕は妙案を思いつき、上司にこのプロジェクトを提案しませんか?と持ちかけました。幸い上司も僕の提案を大いに気に入ってくれました。「ぜひやろう! すぐに原案のスライドを作ってくれ。その原案をもとに今日の午後4時からふたりで1時間ミーティングして、案をさらに練り上げて、来週には部署全体に発表しよう! みんな、きっと興奮するぞ!」と超乗り気です。数時間で原案のスライドを完成させ、今日中にミーティングをするのは、僕としてはかなりの負担でした。でも、超乗り気になってくれた上司の熱を冷ましたくないので、やると返事しました。

何とか原案のスライドも間に合いそうだと目処がたった3時頃、上司から電話がかかってきました。
「あと1時間後くらいにミーティングをやると約束してたけど、学校に娘を迎えに行かなければならなくなったんで、来週に変更してもいいかな? もし、だめだったら、代わりに妻に行ってもらうけど?」
僕の中の日本人常識が働き、「そんな個人的なことで、よくも約束した大切なプロジェクトミーティングを延期できるなぁ」と呆れました。しかし、電話先では、上司に媚を売って、「もちろん来週でかまいませんよ」と返事して、ミーティングは次の週に持ち越しとなりました。

せっかく他の仕事を後回しにして、行うはずだったミーティングのために資料作りをしたのに、娘を迎えに行くだけのプライベートな理由で、重要なミーティングをキャンセルするとは。。。と上司に腹が立ちました。でも、しばらくして上司の立場に立ってよくよく考えてみました。僕が上司だったら、プロジェクトと娘の笑顔、どっちが大切だろう? 当然、娘の笑顔だろう。 「いかん、いかん、日本人の柔軟性のなさが出てしまっていた」と気づいた僕でした。

時には納期を破ってもいい

ある時、僕は、自分が手掛けた新薬に関するたくさんの試験をまとめる資料を作っていました。僕がドラフト資料を作った後、僕の直属の上司を始め、別の部署の何人ものマネージメント(部門長)もそれをレヴューして、最終化することになっています。すでに複数のマネージメントのカレンダーの予定を、僕の資料をレヴューするためにすでに抑えております。レヴュー開始まで残り数日というところまで迫りましたが、いくつかの試験が遅れ、僕の資料は完成品とは程遠い状態でした。

残念がられること(さらには、怒られること)も覚悟で、上司と何人かの別の部署のキーマネージメントに、「期限を1週間ほど遅らせたいのですが」とお伺いを立てました。すると、何のおとがめもなく、「ああ、もちろんいいよ。その方が効率的だな」とあっさり期限延期を認めてもらえました。どんなに残念がられるだろうと心配したのが笑えるくらい、拍子抜けした気分でした。

20年近くアメリカで働き、ひとつひとつのプロジェクトの期限・納期なんてほんの些細なことだな、とつくづく感じてます。

いったん決まった決定事項も、今考えて別の案のほうが良ければじゃんじゃん変更してよし

長くなるので、もう事例は書きませんが、大きな議論の末の決定された重要事項であっても、後で考えて方針転換した方がよいとなれば、じゃんじゃん変更して良いというフレキシビリティが、アメリカに来て学んだ、アメリカの強みだと思ってます。

日本の高いWork Ethics、実は創造の足かせになっているかも?

僕が日本の学校教育・社会人教育で学んだ高いWork Ethics(約束を守る、時間を守る、決定事項を守るなど)は、僕の宝です。その御蔭で、アメリカでは、僕の強みとして僕を助けてくれます。ただ、同時に、大局的に見て、時にはこれらを意識的に破ることも大切だなと、アメリカに来てから考えが変わりました。

気分が乗らないのにに、ただただ約束を守るため、期限を守るため、無理に仕事を完了させても、良い仕事はできません。少々、約束通りの期限を守れず遅れても、一旦気分転換をして、その後に良い仕事をした方が、結局大局的に見て、全体に与える影響はよいということは、例に事欠かないことでしょう。

あまりにもWork Ethicsにがんじがらめになり、周りへの気遣いをしすぎて、自分の我を出さないのは、大切な創造力を発揮する際には、足かせになることもあると、肝に銘じてます。

これからも高いWork Ethicsを自分の強みとして大切にしていくと同時に、時には意識的にそれを破ることも大切と自分に言い聞かせて、仕事をしていきたいです。




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