激しい雨が降る
仕事の帰り、大雨のため電車が緊急停車する。車内で運転再開を待つ私は、今は遠い故郷に思いを巡らす。すべてが消えていく。
藤井佯様主催の「故郷喪失者アンソロジー」に応募したものの、残念ながら採用にならなかった作品です。
列車が、線路の途中で止まった。
次の駅まではまだかなりの距離がある。
窓の外には暗闇があるばかり。
窓ガラスには激しい雨が打ちつけていた。
豪雨のため、危険なので、いったんここで停止しますとの車内アナウンスがあった。
私は、ため息をついて、座席に深く沈みこんだ。
私が毎日の通勤に使っているこの路線は、山がすぐそこまで迫った、海沿いの土地を走っている。そのため、悪天候に弱く、強風、大雨、大雪、なにかあれば、すぐに平常の運行ができなくなるのだった。
私が仕事帰りにこのアナウンスを聞くのも、今年もこれがはじめてではなかった。
私は、鞄からスマホを取り出すと、妻にメッセージを送った。
「大雨。また電車動かなくなったよ」
返事が来た。
「お疲れ様、早く帰れるといいね」
前回電車が動かなくなったときは、運転が再開するまでに三時間はかかり、帰宅したときは日付が変わっていた。
今夜は、どれくらい待つことになるのだろうか。
雨は激しく降り続いている。
私は、見るとはなく、窓の外を見ていた。
子供の頃、私は、自分の周りの世界は、このままずっと、永久に変わらないと思っていた。
私のそばにある人たち、もの、風景、そうしたものは、いつまでも続くと思っていた。
それが子供というものなのだろうか。
私は、とりたてて波乱の大きな人生を歩んできたわけではない。ここまで、私は、私の周りの人たちとそんなに違いのない、平均的な暮らしをしてきたのだと思う。
それでも、なすべもなくすべてのものが変わり、そして、あの時の世界は失われていく。
あれは、いつのことだっただろうか。
お盆休みに実家に帰省した。かなり久しぶりの帰省だったはずだ。実家の畳の上に寝転がり、ぼんやり鴨居をながめていたら、ふと読み返したくなった本があったのだ。立ち上がって、本棚を探してみた。しかし、どこにいったのか見つからなかった。いちど読みたくなると、がまんできないものだ。とうとう私は、もう一度買ってしまおうと思い立った。文庫本だから、そんなに高い本でもなかったし、かなりポピュラーな小説なので、かならず本屋にあるだろう。
そう思って、家の自転車でなじみの本屋に向かった。
新愛堂というその書店は、本好きの私が小学生の頃からお世話になっていた古本屋だった。いつも買った本にカバーを掛けてくれる、店主のおばあさんの、細顔を思い出しながら。
だが、実家からそう遠くはない、その書店に着いて、私は驚いた。
新愛堂はなくなっていた。
いや建物はあったのだが、シャッターがおりていた。
シャッターには、閉店を知らせる張り紙が張られ、それももうかなり前のもので、色あせ、そして端が破れて、垂れ下がっていた。
私はすごすごと家に帰り、そのころはまだ存命だった母に、事情をきいたところ、昨年店主のおばあさんが病気で亡くなり、子供は店を継がなかったために、そのまま廃業したとのことだった。
そうなのか……。
あのおばあさんは亡くなったのか。
よく考えれば、それは当たり前の話で、私が小学生のころにすでにかなりの高齢であったのだから、なにもおかしくはないのだけれど。
そんなふうに、なにもかもがなくなっていく。
電車は動かず、降りつのる雨の中、満員の乗客はじっと待っている。
私の実家もすでにない。
数年前に、家を継いだ兄から連絡があった。
私の実家は、人口三万弱の田舎の町で、建築金物の小売店を自営していた。セメントなどの建材や、ノミや金槌等職人さんの使う道具などを売っていた。父が、当時の経済成長の波に乗って、長く勤めた商店から独立し、始めたのだ。開業当初は、忙しかったが、かなりに繁盛した。だが、父が歳をとり、兄が店を手伝うようになってから、世の中全体の景気が後退していった。今や、進行する過疎化と不況で店を続けていく見通しが立たなくなった。毎年、赤字がかさんでいく。返せないほどに借金が膨らまないうちに、見切りを付けて廃業することにしたのだという。母も父も他界したから、もういいだろう、なあ、よしお、と兄は私に言った。
ついては……できたらお金を貸してくれないだろうか、と兄は申し訳なさそうな口調で聞いてきた。
ある程度のまとまった金で、現時点での借金を一気に清算しないことには、廃業の段取をつけられないというのだった。
兄が家を継いでくれたおかげで、私は進路を自分の好きなようにさせてもらえた。都会の大学に行き、そして実家とは離れたところで職を得て暮らしている。兄にはいつも申し訳ない気持ちがあったので、私は可能な限りの援助をしたのだった。
廃業するにあたって、兄は、店だけではなく、家も売ったという。
私は、その話を聞いて、親が亡くなってからあまり近づくことのなかった実家を、最後の見納めと訪れたのだが、そこで愕然とする羽目になった。
家と店があった場所は、まったくの更地になっていたのだ。
おどろいて兄に電話すると、兄は、土地を売却する条件が更地にすることだったんだ、と言った。それで、解体費用やらなにやらで、また余分なお金がかかってしまったよ、ただでさえ金繰りが厳しいのにな、と。
こうして、私が生まれ、大学生になって都会に出て行くまで、毎日を過ごした、小さいが確実に私の一部であったあの空間は、あっけなく消滅したのだ。
私は、そのとき、感傷的な気分になっていたのだろう。
ふるさとの町を、あてもなく歩いた。
いや、あてもなくではない。
記憶をさぐり、まだそこに在るだろう、自分の錨となるような場所を探し求めたのだ。
だが、町の変貌ぶりは驚くべきものだった。
私の卒業した高校も、統合されてなくなっていた。
統合にあたって、新しい名称へと校名まで変わってしまったために、もはや母校の名残はどこにもなかった。
中学校はあったが、完全に建て替えられていた。
小学校も校舎、体育館、校庭までもが新しく作り替えられていて、大きな塀で囲まれてしまい、私たちが通った頃の、あの学校の脇の茂みや、洞窟のような小さな隠れ家、そんな遺物はもうどこにもないのだった。
すべてが変わった町を散々歩いた末に、私は、小さな橋の上に出た——。
電車はまだ動かない。
窓の外は、強い雨と深い闇。
その闇の中に、なにかがチラリと光ったような気がした。
——私がたどりついたその橋は「はんばばし」、意味も分からず、幼い頃にそう呼んでいた橋であった。
今考えると、「はんば」とは「飯場」であろう。
つまりかつて、そのあたりで土木工事があり、飯場があったのだろう。その土木工事とは、ひょっとしたら、その地方唯一の鉄道をひくためのものだったのかもしれない。はるか昔の事だ。
たしかに、その橋から眺めると、田圃の中を直線に走るローカル線の、単線の線路が、向こうの方に見えていた。一時間に一本の電車が、そこをゆっくり走っていくのだった。
小学校低学年の私には、そんな歴史的な経緯はもちろんわからなかった。
ただ、「はんばばし」と。
橋は、田圃の中をながれる小川にかかっていたのだ。幅が十メートルもない狭い川で、水の深さも、いちばん深いところでさえ子供の太股くらいまでしかない。川からはあたりの田圃に水路が引かれていた。
橋のたもとからは、川に降りる階段が設えられ、そして川の両岸には、十人ほどの人が立てるくらいの、こぢんまりとした石造りの台場があり、川で洗い物ができるようになっていた。
洗い物——それほど水はきれいだったのだ。
おそらく、往事には、飯場で暮らす人たちが、そこで水をくんだり、食材を洗い、食器を洗い、洗濯をしたりと、そんな生活の場だったのかも知れなかった。
だが、私たちが子供の頃にはすでに、そのような姿はほとんどみられず、橋の下は、主に子供の遊び場になっていた。
幼い私は、仲間たちと、そのはんばばしの下で、半ズボンを濡らしながら、ジンタやドジョウのような小魚、ミズスマシやゲンゴロウ、ミズカマキリなどの水生昆虫や、まれに子亀を捕らえたのだ。
そのころ、水は驚くほど透明で澄み、川砂は黄金に輝き、はだしの足の横をさらさらと流れていた。
私は、何十年かぶりに、橋の上にたち、川をのぞきこむ。
しかし、この歳月の間に、川だけがかわらないはずがなかった。
そこにあるのは、今や、生活排水によって泡立ち、濁った水路であり、川の両側の田圃はすべて宅地にかわり、そして橋から川辺に降りる道など、もはやなく、コンクリートの壁が切り立っているだけであった。
時が流れるとはこういうことなのだ。
大きな力が、すべてを押し流して、変えていく。
私はしばらく水の流れを、水面を流されていくプラごみやいくつもの泡を眺めていたが、踵を返して、故郷を離れるために、駅へと歩いていった……。
はっと我に返った。
私はあいかわらず動かない電車の中で、膝の上にかかえた鞄に肘をつき、窓の外の暗闇をじっとみていた。
ザアザアという雨音が列車の中にいても聞こえる。
あの衝撃的なほど美しい小川の光景が、私の脳裏には、ありありと浮かんでいた。
なぜ?
なぜそんなことを今さら思い出したのか?
家がなくなってから、もう長いこと、故郷には帰っていない。
兄も、田舎のあの町から、次の仕事を求めて引っ越してしまい、もはや、あの町には、私がすごした世界がなにもないのだから。
それはそれとしても、今、なぜ、あれらの記憶が。
次々に打ちつける大きな雨粒が、列車のガラス窓に流れる水の線を作る。
その線の向こうに、薄ぼんやりと見える明かりがある。
そうだ。
あの明かりを、私はさっきから眺めていたのだ。
あれはなんなのか。
街灯のあかりなのだろうか。
それとも、人家のあかりなのだろうか。
私は窓に顔を近づけて、目を凝らした。
ああ、家だ。
田圃の中に、一軒の家があるようだ。
背の低い、平屋建ての家だった。
そんなに大きくはない。
このあたりにある家は、たいていは昔からの農家で大きな造りになっているか、それとも最近建てたばかりの近代的な住宅であることが多いが、その家は違った。
周りを黒いトタンの壁で囲われた、ささやかな家だった。
そんな家が、暗闇の中にぼうっと浮かんでいたのだ。
家がどんな構造になっているのかが、簡単に見てとれた。
家には、こちらに向いて裏庭があり、裏庭からみえるガラス戸の奥のあそこが居間だ。居間には白黒のTVがある。玄関はその左側、線路とは反対を向いている。そして建物のそちら側には狭い縁側があり、縁側には手回しの黒いミシンが置いてある。
あの右端が便所だ。くみ取り式の便所の床は、歩くとぶかぶかと動いた。
あそこの張り出している部分は、風呂場だ。
あの煙突は、風呂をわかすため、オガライトを燃やすから、それで煙突が必要なのだ。今も、煙突から白く煙が上がっているのは、ちょうど風呂をわかしているのだろう。
いや、まて。
どうしてそんなことがわかる。
なぜ、家の向こう側の間取りまでありありとわかるのか。
なぜオガライトなどというものがでてくる。
そして、卒然と悟った。
あれは、私の家だ。
あの家に私は生まれ育ったのだ。
いや。
私はかぶりをふった。
そんなバカなことがあるわけがなかった。
ここは、私の故郷とは遠く離れた土地だ。
そもそも、私のあの家はもうこの世界には存在しないのだ。
だが——。
見れば見るほど、考えれば考えるほど、私にはあの家が、私の家だと思われてならない。
ありえない。
ありえないのだが。
私が見つめる中、人影が家の中で動いた。
家族の影。
大きな二つと、小さな二つ。
私と、母と、兄と、そして私。
小さな影が、大きな影になにかを説明するかのように、両手をあげた。小さな影は、一生懸命に手を動かしている。
私の目から知らぬ間に涙が溢れた。
これはなんだ。
私はなにを見ている。
そこには、もはや失われたあの世界があるのか。
もし、今、私がこの電車から降りて、降りしきる大雨を突っ切り、あの明かりまでひたすらに走っていったら、私はどうなる?
私はあの世界にいけるのか。
あの信じられないほど美しい、澄んだ水の流れをもう一度味わうことができるのか。
私にはあらがうすべのない大きな力に押し流されて、もうなくなってしまった、あの世界に。
だが、もしそれができたとして、そのあと私はどうなってしまうのか。こちらの世界はどうなってしまうのか。
わからない。
だが、あの世界への誘惑はあまりに強い。
こちらの世界にも私の大切なものはある。
「早く帰れるといいね」と妻は言った。
しかし——。
どうする。
どうすればいい。
立ち上がるのか。
席を立って、非常扉を開け、電車の外へいくのか。
それともここでじっと座り続けるのか。
車内アナウンスが聞こえた。
「たいへんお待たせして申し訳ありませんでした。この列車は、あと五分ほどで運転を再開する見込みです。もうしばらくお待ちください」
雨はしかし降り続き、まどの向こうの景色がはかなげに明滅する。
わたしは。
わたしは——。
私は、鞄を握りしめ、明かりを見つめ、そして。
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