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東洋文明における比較に関する思考の規範について〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

 以下では、俺は東洋文明における比較に関する思考の規範について述べるつもりである。一般的には、俺が物事を思考するならば、俺は「価値判断の基準」と「理論(思考システム)」を必要とする。

宗教が「価値判断の基準」を授ける。古代地中海におけるアリストテレスや東洋文明における諸子百家などが「理論(思考システム)」を授けた。

そこで、俺は東洋文明における儒教系統の理論(思考システム)を形成するつもりである。なお、俺は思考システムを思考の規範を置く。

画像:https://unsplash.com/photos/e_YlUfX0iKY

比較に関する思考の規範

 俺の儒教系統の思考の規範1.1 俺はホモ・サピエンスと呼ばれてきた個体を次の思考の規範に沿って比較する。

 俺はホモ・サピエンスと呼ばれてきた個体を次の思考の規範に沿って比較する。人種は人種と比較される。小人種は小人種と比較される。民族は民族と比較される。部族は部族と比較される。

例えば、モンゴロイド人種はネグロイド人種やコーカサス人種、オーストラロイド人種と比較される。東洋人は欧州人と比較される。大和民族は朝鮮民族や漢民族と比較される。中間種は中間種同士で比較される。

つまり、俺らはサピエンスを同じ水準で比較する。俺は上記を「同準比較」と便宜的に呼ぶ。

例外則

 俺の儒教系統の思考の規範2.1 俺は次を例外則とする。

 俺は次を例外則とする。白人と黒人が比較される。白人と有色人、または西欧白人と有色人が比較される。

なぜなら、上記は歴史的な事情がある。近代では、白人は肌の色でサピエンスを区別した。その結果、有色人は彼ら自身を有色人と強く認識するようになった。この認識は否定されない、かつ白人に責任(応答義務)がある。

一般的には、欧州人はネグロイド人種と比較されない。しかし、肌の色による分類や黒人奴隷の結果として、この比較が生じる。

典型的な間違い

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