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【数学者の思案】河東泰之は”天才”であるのか?①

 河東泰之が数学者の思案という書籍を出版した。彼はおそらく本物の神童であって、彼は若くして東京大学の教員になり、数学的な業績を残した。そのため、彼は非常に知的な存在や頭が良い人として、または天才として崇拝されているように見える。

 しかし、俺は日本国のIT植民地状態や大学の女子枠を見ると、河東泰之はある分野やある階級では必ずしも知的であるとは言えないように思える。また、俺は河東泰之を天才と見なすことそれ自体が有害ですらあるのでないかと感じる。

 以下では、俺は河東泰之の天才性に対する違和感を提示する。これは数学者や科学者へと一般化されて、数学者や科学者を知的や天才を見なす雰囲気それ自体が非常に有害である。この有害さは国家や文明を没落させる。


#河東泰之
#数学者の思案

社会形成の欠如

 俺の認識
 (1)河東泰之は自分の社会を自分で形成できない。

 河東泰之を含む科学者や数学者は自分の社会を自分で形成することができない。彼らは自分の社会を自分の言葉ですら自分で形成できない。そのため、河東泰之は非常に知的であるのにどこか馬鹿に見えたり、どこか役に立たないように見える。

 河東泰之に関しても、幼少期における天才小話が存在するだけであり、彼が実際に何をした人であるのかがいまいちわからない。これは彼の数学者や業績が俺らの社会の形成にどのように関係するのか、どのように関係するのだろうかが不明である。

 社会形成に関しては、自分の会社を作る、自分の言語や文字を作る、会話を作る、会社を作る、IT産業を作る、景観を作る、家庭を作る、自分の組織を作る、社会運動を実行する、政治活動をする、政党を作る、言葉で社会を形成する、モンゴロイド人種に対する侮辱に反対する、平等や公平を作る、国家を作る…などがある。

 河東泰之は上記をあまり得意としていないように見える。河東泰之が非常に高い知的能力を持っているのにも関わらず、どこか役にたたない、どこか足手まとい、どこか有害であるように見えるのは、河東泰之が自分の社会を形成できないからである。

 さらに、河東泰之は自分の社会を他人に作ってもらわないといけないように見える。より悪い場合、これは天才小学生の性質である。なお、これらの性質は河東泰之個人でなく、大和民族の科学者や数学者へと一般化される。

 一般的に、大和民族の学者は何かを理解して、論文を書いて、仕事して、それで終わる。誰も自分の社会を自分で作ろうとしない。彼らは彼らの社会を他人に作ってもらおうとする(ただ、彼らはそれを言わない)。だから、役に立たないと感じられる。

 それでも問題ないが、その場合、河東泰之は”天才”でなく、ただの選手(労働者)である。単なる選手を天才と持ち上げても、産業も国家も文明も何も形成されないだろう。大和民族が感じている”知性”は自分の社会を自分で作るような何かでない

統治の欠如

 俺の認識
 (1)河東泰之は自分の社会を自分で統治できない。

 河東泰之を含む科学者や数学者は自分の社会を自分で統治することができない。さらに悪いことに、河東泰之は統治を認識していないように見える。言い換えると、河東泰之は統治が何であるのかがわからない。この統治の欠如は大和民族の学者に広く観察される。

 例えば、日本国の大学を見ると、論文を書いていない人間が本当に多い。また、捏造も多い。これらは(組織の)統治の欠如の結果である。さらに、お金にだらしない、神山翼のように性にもだらしない、すぐに怒鳴る、菊池誠のような侮辱が蔓延する、情報がKADOKAWAのように流出する。

 上記の状態は戦後から現在まで放置されてきた。なぜなら、河東泰之はお金や性、感情や言葉、情報を統治するという発想を持ってこなかったからである。河東泰之は物質も動物も人間も統治できないように見える。河東泰之は非常に知的であるのに、何も統治できないのは本当に奇妙である。

 社会形成の場合と同様に、大和民族が感じている”知性”は自分の社会を自分で管理・統治するような何かでない。彼らの”知性”は白人が考えたものを早く正確に理解するような何かである。または、何となくすごい天才小話(エピソード)。

 もし河東泰之が自分の組織や自分の社会を自分で統治することができないならば、その統治は外部の誰かに移る可能性がある。それが白人である場合、河東泰之は白人の奴隷になるだろう。古代ギリシアでは、教師は奴隷であったらしい。

階級の欠如

 俺の認識
 (1)河東泰之は知的選手(知的労働者)としては世界的に優秀であるが、統治者や創造者(設計者?)としては優秀でない。

 河東泰之は階級を認識していないように見える。階級によって、求められる知的能力は異なる。例えば、天皇(天皇の先祖)は日本国を創造するような知的能力が求められる。日本国の統治者には、日本国を統治するような知的能力が求められる。

 日本国の選手(競技者)には、日本国で競技するような知的能力が求められる。河東泰之の知的能力は選手(競技者)に非常に特化しているように見える。例えると、河東泰之の能力は大谷翔平や井上尚弥の能力に近い

 河東泰之も大谷翔平も井上尚弥も野球チーム(会社)を立ち上げたり、野球業界を管理・統治したり、野球それ自体を創造するような能力を持っていない(監督ぐらいはできるだろうが…)。彼らができるのは、白人が創造し、白人が管理・統治し、その中で非常にうまく競技することだけである。

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