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【まとめ】アルジェリア人のイマネ・ケリフはオリンピック女子ボクサー(女性や雌)で病気か?【アンドロゲン不応症:性分化疾患?】

イマネ・ケリフが雄であるのか、雌であるのかが議論されている。ここでは、俺はイマネ・ケリフを使用して、文明や宗教やロゴス(理屈)と性について述べるつもりである。なお、この文章には、生物学的根拠や医学的根拠は存在しない

#イマネ・ケリフ

生物学的性とジェンダー

儒教系統の認識
(1)生物学的性はジェンダーと異なる。

生物学的性≠ジェンダー。日本語を作ると、生物学的性は動物的性である。ジェンダーは人間的性である。または、人工的性。

今回の場合、イマネ・ケリフの問題は人間的性でなく、動物的性である。イマネ・ケリフ自体が自分の性をどのように認識するのかはケリフの動物的性と異なる。自分の性に対する認識は人間的性に近く、それは宗教や文明に影響を受けるだろう。

ちなみに、雄と男性、雌と女性も互いに異なる。雄や雌は動物的性、男性や女性は人間的性に近い。例えば、アブラハムの宗教の場合、男性や女性のあり方はヤハウェやキリスト、アッラーの言葉によって特徴づけられる。そして、信仰者はその神の言葉に沿って自分の性を認識する。

以下では、イマネ・ケリフがサピエンスの雄であるのか、またはイマネ・ケリフがサピエンスの雌であるのかを述べる。

イマネ・ケリフの動物的性

儒教系統の認識
(1)イマネ・ケリフはサピエンスの雄でない、かつイマネ・ケリフはサピエンスの雌でない。

上記が成り立つ可能性がある。もし俺らがイマネ・ケリフが雄であるのか、雌であるのかがわからない場合、イマネ・ケリフの動物的性は新種である可能性がある。わからない場合、無理やり雄か雌かに分類しようとするのでなく、わからないといった方がよい。

ここで、次の性を考えてみよう。簡単に思いつく場合が次である。

  • XY染色体+雄表現→雄

  • XX染色体+雌表現→雌

  • XY染色体+雄非表現→?

  • XX染色体+雌非表現→?

  • そのほか→?

普通の雌や雄の場合、上の二つである。問題が生じるのは、下の二つである。イマネ・ケリフはXY染色体+雄非表現→?であるように思える。個人的には、俺はこの種の個体を半陰陽と呼んだ方がよいように思える。例えば、XY半陰陽やXX半陰陽。

イマネ・ケリフの性が病気であるのか、障害であるのか、新種であるのかは現時点では完全に断定されないように思える。ふたなりや両性具有も病気であるのか、障害であるのか、新種であるのかは不明であるように思える。両性具有は神話では別種として扱われているように思える。

イマネ・ケリフはホモ・サピエンスであるのか?

儒教系統の思考規範
(1)もしある主体がサピエンスの普通の性を持たないならば、その主体はサピエンスでない。
(2)もし理屈(1)が正しいならば、イマネ・ケリフはサピエンスでない。

俺が仮定するのは、イマネ・ケリフはサピエンスの普通の性を持たない。このとき、(1)と(2)を使用すると、イマネ・ケリフはサピエンスでない。イマネ・ケリフは新種である。

別の思考規範は次である。

儒教系統の思考規範
(1)もしある主体がサピエンスの雄や雌と生殖可能な子孫を残すことができないならば、その主体はサピエンスでない。
(2)もし理屈(1)が正しいならば、イマネ・ケリフはサピエンスでない。

イマネ・ケリフが子孫を自然に残せるのかは不明である。ここでは、イマネ・ケリフが子孫を自然に残せないと仮定する。このとき、理屈(1)と(2)を適用すると、イマネ・ケリフはサピエンスでない。イマネ・ケリフは新種である。

コーカサス人種とモンゴロイド人種とネグロイド人種は異なる見た目を持つ。しかし、彼らは互いに交雑して、子孫を残すことができる。だから、彼らは同じサピエンスであるとなんとなく説明されてきた(では、ネアンデルタールやデニソワはどうなのか?)。

もしイマネ・ケリフがサピエンスと交雑することができないならば、イマネ・ケリフの種族はサピエンスと異なる可能性がある。




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