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知的不誠実さ〜俺ら(katotoorera)の政治信条〜

以下では、筆者は知的不誠実さを提示する。彼は自己の認識や判断を伝達しないことを知的不誠実と認識する。また、彼はその不誠実さを悪いと判断する。

1.0 背景

1.1(儒教系統の認識)
大和民族は自己の認識を表現しない。

大和民族は自己の認識を表現しない。彼らは知識を引用したり、彼らは非自己を説明する。しかし、彼らは自己の認識を表現して、その認識を他者に伝達しない。

例えば、彼らは「俺は人種を認識している」や「俺は民族を認識している」と表現して、その認識を他者に伝達しない。彼らは「この論文では、人種は存在しないと科学的に証明されている」や主語を誤魔化して「人種は認識できない」と表現する。

彼らは説明したり、知識を引用して、それらを相手にぶつける。そのあと、彼らは相手に納得してもらって、彼らは共感や安心感を獲得しようとする。それが叶わない場合、彼らは嫌がらせに走る。

1.2(儒教系統の認識)
大和民族は自己の判断を表現しない。

大和民族は自己の判断を表現しない。上記の例では、彼らは「俺は人種を認識していないことを善と判断する」と表現しない。彼らは「この論文では、人種は存在しないと科学的に証明されている」と表現する。

2.0 認識

2.1(儒教系統の認識)
彼は大和民族が自己の認識を表現しないことを"知的不誠実"と認識する。

彼は大和民族が自己の認識を表現しないことを"知的不誠実"と認識する。同様に、彼は大和民族が自己の判断を表現しないことを"知的不誠実"と認識する。

彼は上記のような反応を知的不誠実と認識する。知的に不誠実でないのは次である。ある人間は「俺は人種を認識していない」、「俺は民族を認識していない」と表現して、その認識を他者に伝達する。

3.0 判断

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