俺ら(katotoorera)の政治信条〜日本国の裁判官(審判者)の問題点〜
以下では、俺は日本国の裁判官(審判者)の問題点について述べる。
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1章 問題点
俺の儒教系統の問題 大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないのにも関わらず、彼らは民を裁いている。
大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないのにも関わらず、彼らは民を裁いている。大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も隠蔽している。大和民族の裁判官は彼らはキリスト教徒であり、西洋文明に所属しているので、彼らは民をキリスト教系統の法で裁くと宣言しない。
さらに悪いことに、大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないことの何がおかしいのかすら認識していないように見える。サッカーにおける審判が卓球の審判であるのか、サッカーの審判であるのか、ラグビーの審判であるのかは明らかにされる必要がある。競技(文明)が異なると、持っている善悪(レッドカード)それ自体が異なる。
民から見ると、彼らは彼ら自身が大和民族の裁判官によってどの宗教系統で裁かれているのかすらわからない。大和民族の裁判官もまた彼ら自身が自己の文明的な所属や自己の宗教を明らかにする必要性すら認識していないように見える。
2章 儒教系統の善悪
儒教系統の善悪 俺は「大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないのにも関わらず、彼らは民を裁いている」を悪いと儒教系統の善悪で判断する。
俺は「大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないのにも関わらず、彼らは民を裁いている」を悪いと儒教系統の善悪で判断する。俺は大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないことを東洋文明における非礼と審判する。
俺は非礼を悪いと判断するので、俺は大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないことを悪いと儒教系統の善悪で判断する。
感覚的には、もし「大和民族の裁判官は自己の文明的な所属も自己の宗教も明らかにしないのにも関わらず、彼らは民を裁いている」ならば、裁かれる民は大和民族の裁判官がどの宗教系統の善悪を持っているのかすら知ることができない。
大和民族の裁判官はキリスト教系統の善悪を持って、民を裁いているのかもしれない。または、彼らは仏教系統の善悪を持って、なぜかキリスト教系統の善悪を悪用して、民を裁いているのかもしれない。しかし、民の自然な感情としては、民は儒教徒の裁判官によって儒教系統の善悪で裁かれたいと感じる。
3章 儒教系統の認識
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