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感動させられる人生は悔しい

死ぬ直前に「無難に生きてきてよかったな」と言う人は聞いたことない。僕は失敗しても貴重な経験を身につけ次を考える。一回失敗したぐらいで世は止まりはしない。

こんにちは、katoです。都内でiOSエンジニアをしています。この記事では自分がiOSエンジニアを目指したきっかけについて書こうと思います。キャリアチェンジを考えている方や、将来について悩んでいる方にとってほんの少しだけでも励ましになればと思っています。ちょっと長くなってはしまうのですが、ご興味がありましたらお付き合いいただけますと嬉しいです。

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冒頭で引用させていただいたことばは最近ではTechAcademyのCMでもおなじみ、厚切りジェイソンさんのことばです。私は大学院1年目の頃、ジェイソンさんの著書「日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy」の中でこの言葉に出会いました。

私はバリバリの地方出身ですが、当時は地元で就職するつもりでした。地元は住みやすく食べ物も美味しいし気の合う友人もいる。親しい友人も私に対して、ずっと地元に残りそうという印象だったようです。自分自身も地元で高校、大学、大学院と9年間学んできた機械工学の知識を活かし、機械設計やそれに関わる研究職に就ければいいなと考えていました。

そんな私は大学院の修士課程を修了した年の春、いつの間にかオーストラリアの大地を踏んでいました。

コンフォートゾーンからの脱却

大学院での就活中、冒頭に紹介した厚切りジェイソンさんの言葉に影響を受けた私は、後悔しない人生を歩みたいと思いました。一口に後悔といっても幅広いですが、いわゆる"やらずの後悔"を避けたいと思いました。そして考えた結果、志望企業を海外でも働くチャンスのあるグローバル企業に絞りました。

いつか海外で生活してみたい。そんなぼんやりとした思いは、確か自分が中学生くらいの頃から考えていた気がします。しかし本気で叶えようと毎日願っていたわけでもなく、ふと時々思い出すような小さな憧れに過ぎませんでした。でもこの際チャレンジしてみたい、今の自分の取れる無難ではない選択肢はこれだと思ったんです。

そして就活の末、私は無事に自動車部品メーカーの大手に内定をいただきました。

悔しさと楽しさと

入社した企業は、入社して1年目に海外研修に行くことのできる制度を持っていました。私は事前にその制度を知っていたので(そもそもその企業を志望した理由のひとつがこの制度でした)研修に参加することにしました。

その年の研修先はオーストラリア。特に具体的な研修プログラムが組まれているわけではなく、参加者はバラバラのタイミングで出国し、お互い顔を合わせることもありません。各自で目標設定をしつつ、現地で英語を学んでいくというスタイルでした。

海外で生活してみたいという憧れと、英語を話せるようになりたいという思いで飛び出したものの、やはり最初は苦労しました。特に英会話を学んだ経験もなかったので、話すにも聞くにも苦労しました。まるで泳ぎ方を忘れてしまい溺れる魚のように、今まで普通にできたはずのことができなくなるのは自分自身が滑稽に思えたし、悔しくてたまらなかった。

でもこの悔しいという感覚が自分にとって新鮮でよかった。過去を振り返ってみると、あまり悔しいという経験をしたことがなかったことにこの時に気が付きました。何かうまくいかなかったり負けてしまったとしても、大抵のことは「まぁ仕方ないよな」と思えたからです。しかしこの時ばかりは悔しさを禁じ得なかった。

実はここ数年で、これと同じ感覚の"悔しさ"というものが自分を成長させてくれるものだとわかりました。この悔しさを感じるきっかけは、おそらく自分が本当にしたかった道を歩めているとき。だからこの悔しさには心の奥底に喜びも伴っていました。海外に行くという決断をするまで、なんとなくで進路を決めていた私はこのとき初めて、自分で決断しその決断に責任を負っていく人生は楽しいということに気づいたんです。

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改めて将来を考える

現地ではレストランで働きつつ、チャイルドケアのボランティアをしたりしていました。それでも決して忙しいということはなく、むしろ時間にはゆとりがありました。現地でできた友人と海に行ったり、登山に行ったりオーストラリアの自然やアクティビティを堪能しました。

そうやって時間にある程度の余裕があると、自分の将来についてもじっくり考えることができるものです。帰国してから自分がどういう仕事をして、どんなキャリアパスを歩んでいくのかよく想像していました。

でもどれだけ考えても自分の将来がなんとなくスケールしていかないのです。帰国したらまず工場研修があり、その後は品質管理などに配属されることが多いようでした。そういう経験を数年積んで、自分がなりたかった設計や研究の職に就くことができるのは、どれだけ早くても5年後だと言われていました。そんなに待てないな、そもそも5年も待って得られるその仕事は本当に自分がしたいことなのかな・・・そう考えるようになりました。

あるアプリとの出会い

オーストラリアでは外食すると高くつくので、よく自炊をしていました。料理は母がするのをたまに手伝う程度で、ほとんど経験はありませんでした。そんな中でクラシルという料理動画アプリに出会いました。そして初めてこのアプリを使ったとき、とても感動したんです。何に感動したのか、それは料理動画とレシピをみている間、iPhoneの画面がOSの設定に関わらず暗くならないことです。

なんて優しい設計なんだと思いました。言われてみれば当たり前のことですが、料理をしながらレシピは常に確認したいですし、料理中は手が濡れていたり汚れていたりするので、暗くなった画面を触って元に戻すのは煩わしいものです。かといって特定のアプリを開くためだけにOSの設定を変えるのも面倒です。

さらに使ってみると、材料も料理の工程も1画面に収まっていることに気がつきました。材料をみているときに画面が見切れることがなく、一度で全ての材料が把握できる。作る工程も同様でスクロールの必要がない。もう一度言いますが、なんて優しい設計なんだと思いました。

そしてすぐに、このアプリを作っているdelyという会社は堀江 裕介さんという方が経営されていることを知りました。そしてその堀江さんは自分と同い年ということがわかり衝撃を受けました。当時24歳でしょうか。

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自分と同世代の人がこんなにも世の中に幸せを届け、影響を与えている。アプリの素晴らしさに感動するのと同時に、またあの悔しさが自分を襲いました。「自分のしたかったことはこれだ。自分も人の生活を豊かにし、誰かを感動させるプロダクトを作りたい」これが私がiOSエンジニアを本気で目指すきっかけになりました。

幸せの手助け

この出来事以降、今までは全く気にならなかった自分と同世代の活躍がやたらと目につくようになりました。多くの同世代が様々な形で世の中にコンテンツやプロダクトを送り出し、人々に感動を届けている姿をSNSやニュースで見聞きする。どこで彼らとこんなにも差がついてしまったのか。

感動させられる人生は悔しい。自分も何か価値あるものを作り、世の中を面白くしたり豊かにしたりしたい。そう強く願いました。

エンジニアは私のその願いをかなえてくれる生き方のひとつだと思っています。まだまだできることは少ないけれど、これからもいろいろな開発に携わり、経験を積み、誰かが幸せになることをほんの少しだけでも手助けする。そんなプロダクトを作ることができたら最高です。

おわりに

この記事は「エンジニアと人生 Advent Calendar 2020」の22日目の記事でした。本当はオーストラリアから帰国後、自分がどのようにiOSエンジニアになったのかについても書きたかったのですが、あまりにも長くなってしまうため書けませんでした。機会があればまた別の記事として書きたいと思います。

明日はYusuke Kojimaさんが担当してくださいます。ぜひそちらもお読みください!

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!


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