炎天下を天国に変える要素
緊急事態宣言とそれに伴う自粛は僕の生活を一変させた。
近くの公園でさえ封鎖されて、お出かけ制限がかかった僕の子どもたちも同様だ。だとしても今あるもので楽しみ始めるのも分かっていた。
遊戯施設、ゲーセン、公園、友達との遊び、全てを封印された我が子達が緊急事態宣言中にハマったのが「釣り」だった。
家の目の前に川が流れていて、徒歩1分で釣りに行ける。今まで気づかなかっただけで、こんな近くに遊び場が残っていた。
釣り竿とエサを買ってもらい、いざ釣りにでかける。ほぼ毎日の日課となった。
川にいるのは30cmを超える鯉やブラックバス、小魚もいるが数は少ない。よく考えなくても、まだ7歳の子供にそんな大物は釣れない...。
ただある日、偶然にも1匹のカメがかかったことで子どもたちの何かが変わったんだと思う。
毎日毎日釣り糸を垂らし、一日のほとんどを過ごしてもカメ以降は全く釣れないのに、なぜこの子たちの気力は尽きないのか。
その前に、「一日中日差しがガンガン降り注ぐのに暑くないの?」と思う。
子「よーし!今日は釣るぞ!早く行こう!」
子「この場所がいいよ!ここで魚を見たんだ!」
彼らを動かしている要素は純粋無垢な”期待感”だけ。そう、釣れる可能性は限りなく低いのに、期待感というワクワクを持っているだけで
炎天下にも近い5月下旬の日差しの強い川辺に一日中いるのだ。
彼らは、毎日それが楽しみでしょうがない!といった感じ。2人分の水筒を抱えて一緒に回っている僕は、気持ちがはやっている2人の歩くスピードに追いつけないくらいだ。
そんな子どもたちを見ていると、量産型の大人に育ったなぁという自分に嫌気が差してきた。
どうだろう、大人になったらそんなワクワクとは程遠い生活をしていないだろうか。休日に無理やり”ワクワクモード”に持っていくスタイルが普通になっている気がした。
むしろ
ワクワクってなんだっけ?
どんなことにワクワクするんだっけ?
という1番重要なところをすっかり忘れ去っているかもしれない。
働くことで1日を使い切る、休日はまた働く気力を貯めるためにゆっくり休む。これで一体何年過ごしてきたのだろう...、そしてこれから先どれほどの期間を同じように過ごすのか。
これではいつまでも何も変わらない。
子供の頃に戻って自分が何にワクワクするのか考えてみてもいいだろう。きっと想像しているだけで楽しいはずだ。
仕事を心底楽しめる人ばかりではない。ワクワクを探し出して、そのために日々を過ごしてみると今まで辛いと思っていたことも乗り越えられるかもしれない。
そうすれば今までと全く同じ状況も「手段」と感じることが出来てまたやる気が出てくるもの。
今の仕事はこういう理想をゲットするためにやっている。理想の生活はあんなことして、こんなことして...。と自分勝手に妄想してみる。
そんなことで乗り越えられるわけがない...、と思うかもしれない。でもワクワクの一切ない人生って楽しくないじゃない?
僕は子供のワクワクを自分のワクワクのように感じながら今日も川辺に向かう。自然と暑さは辛くないものだ、子供の笑顔が弾けているから。
むしろワクワクでしか動いていない真っ直ぐさを見習いたい。
炎天下をものともしない子供のように。