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餃子屋さんが止まらない

唐突ですが、私は福岡市内に住んでいます。
もともと大阪で生まれて、父親の転勤や自身の進学、就職、ワーホリなどでこれまでに20回近く引っ越しを繰り返してきましたが、縁あって5年ほど前から、この福岡という土地に移り住んできています。

かつては福岡に異動するサラリーマンは2度泣くと言われていたそうです。
1度目は東京なり大阪から移動する時。大都市圏や本社から地方へ動く時。
そしてもう1度は福岡から元いた場所に帰任する時(または新しい土地に異動する時)。
それほどまでに住み心地がよい土地という事らしいです。

私は福岡に来る直前までは東京で勤務していましたが、当時の上司から「福岡にする?千葉にする?」と聞かれ、笑顔で福岡を選び、そして笑顔で生活を続けています。福岡サイコー。

何がそんなにサイコーなのか。
私が思う福岡の良さは大きく3つ。
1.食べ物が美味しい。
2.リビングコストが低い(東京と比べ)。
3.ほどほど都会だけど、ひとっ走りすれば温泉にドボンできる。

まず食べ物だが、ラーメンやうどん、モツ鍋、鉄鍋餃子、ゴマ鯖、水炊きなどなど、名物的な食べ物もたくさんあり、どれも美味しいのだけれど、それ以上に普通の食べ物が美味しいのだ。もちろん味付けの好みはあるが、産地が近いのか素材の質が圧倒的に高いのである。

東京には10年ほど住んでいて、それなりに美味しいものも食べた。日本で一番美味しいものが集まるのは東京だと言っても過言ではないと思うくらい、美味しい食べ物はたくさんあった。しかしどれも高い。信じられないくらい高い。対して福岡はそこそこ美味しいものがリーズナブルな値段で食べられる。QOLが普段から爆上がりする1番の原因はこれじゃないかと思う。

コストパフォーマンスの高さは何も食事のことだけではない。住宅事情が素晴らしい。
東京から福岡に引っ越してくる際に家を探していた時のこと、不動産屋さんから「通勤は何分くらいで考えていますか?」と聞かれ、「30分以内であれば、、、」とダメ元で答えたところ、即答で「遠くないですか??」と。

結果、選んだ物件はオフィスまで電車を使ってドアtoドアで15分(徒歩だと25分)の物件。さらに家賃は東京にいた頃とさほど変わらなかったが広さは2倍以上になった。(広さが同じであれば、半額近い金額に収まる)

それくらい“こじんまり”した規模の街である。しかし福岡市は政令指定都市でもあり、生活に必要なものは徒歩圏内で何でも手に入る。だけど、東京ほど人は多くないし、混雑していない。有名アーティストのライブチケットだって結構楽に取れる。

おまけに車で30分も走ればすぐに温泉に辿り着ける。空港までも家から20分で着けるので、羽田までもドアドアで2時間かからないというのも魅力として地味に大きい。

きっと街の規模感やアクセスの距離感が自分にとって丁度いいのだろう。


・・・思いがけず、福岡紹介みたいになってしまった。

今日の本題はここから。
そんな美味しいものがたくさんある福岡に、私が最も好きな餃子屋さんがある。初めて食べた時の衝撃が今でも忘れられず、日本で一番美味しい餃子屋さんだと私の中で認定している。

その餃子屋さんは住宅街の中にあり、一番近くの駅からも10分近く歩かねばならず、決して立地が良いと言えないし、店の佇まいなども斬新さみたいなものやお洒落さみたいな飾り気はなく、普通の餃子屋さんなのだ。(中華料理屋さんで餃子が旨いということではなく、餃子がメインのお店)

焼餃子の他に水餃子、紅油餃子、手羽餃子などいくつかあるがどれも旨い。何度か通ううちに店主の方とも顔馴染みになった。


しかし、ある時いつも通り注文をして食べた餃子の味が変わっていた。最初は気のせいかと思ったのだけれど、どうも野菜の味が強い。もともと肉汁のパンチが凄くて、そこが気に入っていたのだが。

気になって帰り際に店主に味のことを聞いてみたところ、白菜の量を倍に増やしたとのこと。感想を聞かれ、素直に野菜の味をしっかり感じたことを伝えた。餃子自体の値段は変わらないけれど、原価も手間も上がっているとのこと。

それから暫く経って、再びその店を訪れた。
ジュワっ、、、肉汁が溢れ出してくる。しかもそれは今まで好んで食べていた焼餃子からではなく、特に注目していなかった水餃子だった。これまでと比べて格段に旨い。

お腹いっぱいになるまで餃子を食べてお会計を済ませる。帰り際、店主に美味しかったこと、特に水餃子がめちゃくちゃ美味しかったと伝えて、ご馳走を言った。そしたら店主は少しはにかんだように笑い「以前にお話しした時から色々試行錯誤してたんです」と言った。

断っておくのだけれど、私は決して著名な美食家でもなければ、毎日通うような超常連というわけでもない。1、2ヶ月に一度ふらっと訪れるだけの、ただの1人の客だ。けれども店主は私と話していたことを覚えてくれていただけではなく、そこから試行錯誤をしていたと話してくれた。もちろんこれは客向けのリップサービスかもしれない。

ただ、私はあれだけ完成度が高く、私以外にもたくさんの客がついていた餃子の味に満足することなく挑戦を続け、高みを追求し続けている店主の執念にも似た凄さに、ただ尊敬と驚嘆の念を感じるばかりだった。

どれだけ自分の力に満足せずに慢心せずに努力し続けられる人がいるだろう。私は料理人の世界も職人の世界も芸術家の世界のこともわからない。

それでも、あの店主が真摯に努力していることはわかる。

またあの店が好きになった。


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