けんじょうとしょうがいのかべ

こんな記事を書こうと思ったのは、先日判決が出た「津久井やまゆり園」殺傷事件の報道を目にしたことと、籠田さんのこの記事を拝読したからに他ならない。

籠田さんの記事は今年の1月8日に公開されたものだが、閲覧履歴からのオススメで僕の目に入った。その日は3月12日。
レックリングハウゼン病という難病指定の病気併発で、知的障害のある僕の息子の誕生日は3月13日。
「津久井やまゆり園」殺傷事件の判決が出た日は3月16日。

なんだろうね、このタイミング。
おかげでいろんなことを考えちゃった。
神様が「いろいろ考えろ」って言っているんだろうか。。

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ここからは、すいません。僕の拙い伝え方や表現で、気分を悪くする方もいるかもしれないが許してほしい。

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先の籠田さんの記事は「障害」ということばとは違う、他のことばを考えませんか、っていう呼びかけでした。

僕もやはり「障害」ということばにあまりいい印象をもっていない。
なんせこの2つの漢字は両方ともネガティブな意味をもつ漢字の組み合わせだ。

だから、僕も「障害」に代わる表現にした方がよいと思っている。思っているが、僕には代替案が考えられなかった。

考えられない理由はこの籠田さんの記事のコメント欄にも書いたのだが、個人的には同じ「人間」を何か単語で分けるという考え方が苦手なのだ。
人間はみんな基本的には平等だと思っているから。
「基本的に」としているのは、説明しだすと長くなるし、今の僕の能力では意図するように伝えることができないと思うので割愛するが、やっぱり僕は考えだすと苦しくなるし、いいことばを見つけ出すことができない。

分けることを考えるっていうことは、自分の息子を自分とは別の何かに分けるような気がしてしまって、とてもつらくなる。つらくなるのです。

もちろん、行政の手続き上は分ける手段として、それを指し示す単語はあったほうがわかりやすいだろうし、僕が他の人に息子のことを理解してもらうための単語として「障害」という2文字はよく使う。

その方が今の日本では伝えやすいし便利だからだ。だけどやっぱり我が子に対して「障害」っていうことばを使うことは、毎回心苦しい。

やっぱりどう考えても僕は分けるのが苦手で、至った考え方は「○○が苦手な人」と捉えるようにしている。

臆病になっては何も語れないからこのまま書き進めるけど、多分こういった考えた方すら、受け付けられない人もいると思う。受け付けられない人はこの記事から去ってね。僕は意見を言い合って喧嘩するつもりないから。

さて、「○○が苦手な人」っていう考え方に至ったのは、僕にも苦手なことがたくさんあるし、これだと分けなくて済むから。息子の場合は「勉強が苦手な子」って感じになる。

この考え方をするようになって、僕は随分とこころが楽になった。息子を分けないで済むようになったから、とてもこころが穏やかで楽ちんになった。

みんな苦手なことってあるでしょう?
仕事ができる一見完璧人間でも、料理をさせたら激マズなものしか作れなかったりする人もいるでしょう?

僕は料理は好きで、時々パスタのレシピを公開したりしてるけど、魚をさばくの苦手だし、ゴッキー見たら体が固まるし、走るの遅いし、苦手なことなんてたくさんあるよ。

僕の息子も、言っていることがなかなか伝わらないし、苦手なことも多いけど、とても我慢強くて、小学校5年生の時に脳腫瘍の手術にも耐えたし、半年後の側弯症の手術にも耐えたし、その手術で背骨をチタンの棒で固められちゃったから、動作も制限があるけど、元気に学校に通っている(今はコロナの関係でお休みだけど)し、見習わなければいけないことがいっぱいある。

レックリングハウゼン病って染色体の対が一部欠損していることでいろんな体の変化(神経線維腫って言って体全体の神経が腫瘍化する恐れ、側弯症も成長過程での骨の変化が影響)がおこる、とてもやっかいな病気で、現代医学では完治できないから、将来のことを考えすぎてとてつもなく不安になることもあるけれど、努めて明るくふるまってくれる息子には本当に僕の心を助けてもらっているし、尊敬できる部分もとても多いのだ。

過去の記事で一度書いただけだけど僕の父親も身体障害者だ。

吊り橋から落ちた時の手術の影響で、小学校の時から右ひざが曲がらない。やっぱり動作に影響があるけど、高校の時に卓球部で活躍したり、ボーリングで250だしたり、あまりレベルの高くない高校を卒業して、町工場に入社。入社した先でものすごい努力をして、会社が成長して日本でベスト5に入るメガネの会社になった時に営業部長に、さらに出向したレンズ会社の社長にまでなった。

幼少のころにあまり遊んでもらった記憶はないけど、家族の為に頑張って、今でもいろんな面でサポートをしてくれる。一時期はあまりにも偉大な父親と自分を比べて悩んだ時期もあったけど、とてもとてもやさしい、尊敬できる父親だ。こうありたい。

そんなにわけないといけないのかな。かべがあるのかな。

僕は幸いにして今は健康だけど、これからの人生の中では何が起きるかわからないのだから、病気になったり、事故にあったりで、もしかしたら後天的に障害を持つかもしれないし、それは僕以外にもみんな同じくその可能性はあるわけです。

みんなみんな、なにかしら苦手なものがあるのだから、得意な人が苦手な人をやさしくサポートしてあげればいいじゃんって思う。

そんなやさしい人になりたい。

そんなやさしい世界であってほしい。

あっ!
そんな今日3月18日は僕の父親の誕生日だった!
父ちゃんいつもありがとう。まだまだ元気に長生きしてね。

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