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非生物から生物:相転移の獲得能力

空腹時には食べ物を多く食べたくなりますが、満腹になるとそれ以上は食べられなくなります。この時、胃袋に食べ物が入らないということではなく、食欲がなくなり、限度を超えると食べ物を見る事すら嫌になります。

このように、身体における物理的な限界が来る前に、脳やホルモンなどの判断や指示によって、限界の手前に収まるように生物は自らを制御する仕組みを持っています。この仕組みは、身体内の何かが一定の度合いを超えると、欲求などのモードが大きく変化することで成り立っています。

水は高い所から低い所に流れます。一旦どこかに留まっていても、さらに低い所へ水路がつながれば、さらに低い所を目指します。位置が変わってもこの性質は同じままです。

一方で、温度が変化すると、水は固体の氷になったり、気体の水蒸気になったりします。位置の変化は性質に影響を及ぼしませんでしたが、温度の変化は性質を大きく変化させます。

このように何かが変化することで、大きく性質が変化することを、相転移と言います。相転移は物理学の用語ですが、人間の食欲の制御も、概念としては相転移と考える事ができます。

この記事では、生物における身体の状態を制御する仕組みが、この相転移により成り立っているという視点に着目します。そして相転移という視点から見ると、生物と非生物の違いは、相転移の条件が普遍的であるか、後天的に得られるかどうかにあるという点にあるということを分析していきます。さらに生物の身体だけでなく、脳が相転移の後天的な獲得に大きな役割を担っている点も明らかにしていきます。

■後天的に獲得できる相転移

相転移とは、フェーズ(相)の変化を意味する言葉です。例えば物質の個体、液体、気体という状態をフェーズとして捉え、個体から液体、液体から気体への変化が相転移です。

水の場合は、氷が水になり、水が水蒸気に変化すれば相転移が起きたことになります。圧力や温度が変化することで水が相転移することになります。地表とおなじ気圧条件下であれば、摂氏0度が氷と水の相転移の境界で、摂氏100度が水と水蒸気の境界になります。

物質の個体、液体、気体の他にも、ある境界を越えると状態や性質が大きく変わるような変化がある場合、その前後の状態や性質をフェーズとする相転移と見なすことができます。

純粋な物理学の範囲での相転移は、水の例のように、転移する基準となる条件が時代や場所によって変化することなく一定です。

一方で、生物や知能も様々な相転移が見られますが、時代や種や個体や主体によって異なります。

例えば人間の体温は摂氏36度前後に保たれていますが、風邪をひいて38度を超えると発熱状態となり体調が大きく変わります。これも相転移の一種と考える事ができますが、その基準となる平熱は、個人によって微妙に異なります。また、人間と他の恒温動物でも異なるでしょう。

知能の例では、私たちは日常的に様々なフェーズを使用しています。支払える金額と商品の値段によって、買えるかどうかが決定的に変わります。約束の期限に仕事が間に合うかどうかで、報酬や心情が大きく変化するかもしれません。もしかすると、家を出る時に右足から出るか左足から出るかでその日の運勢が大きく変化すると考えて、いつも左足から出るようにしている人もいるかもしれません。

これらはこの宇宙の法則として元々決まっているような相転移の条件ではありません。生物の種であれば進化の過程で、生物の身体であれば交配によるDNAの配置の決定時や成長の過程で、知能であれば学習やコミュニケーションや想像によって決まります。つまり、後天的に獲得された相転移です。

相転移を後天的に獲得するためには、そのための能力を持っている必要があります。ここで、獲得という言葉に注意してください。これはある主体が持続的に保持し続けることを意味します。また、獲得には暗黙には単に押し付けられているというよりも選び取っているというニュアンスも含まれます。つまり、生物や知能は、相転移を選び取って保持する能力を持っているという事です。

生物と無生物の違いには様々な観点がありますが、能力の観点からは、相転移を後天的に獲得できることが、生物の必要条件と言えるでしょう。そして同じことが、知能にも言えます。

■条件分岐

相転移の能力の本質の1つは、条件分岐です。温度が摂氏0度を越えたら、支払える金額が価格を越えたら、約束の期限に間に合ったら、右足から出たら、フェーズが変わるのです。つまり、ある条件が満たされるか満たされないかという条件がフェーズの分岐点です。

これは、コンピュータのプログラムでは条件分岐文と呼ばれるコマンドで実現することができます。通常のプログラムは、自らこの条件分岐を変化させることはできませんので、後天的に相転移を獲得する能力はありません。

しかし、学習によってこの条件分岐を変化させるような技術はあります。いわゆる機械学習です。機械学習は人工知能の技術の一つの重要な側面です。コンピュータのプログラムであっても、機械学習のメカニズムを組み込むことで、後天的に相転移を獲得する能力を持ちます。

そして、興味深い点は、人工知能で最も注目を集めて成果を上げているニューラルネットワークも、その基本単位であるニューロンは、一般的には1つの条件分岐を持っており、その条件を学習によって獲得しているという事実です。より学習しやすくするために、プログラムにおける単純な条件分岐コマンドではなく、活性化関数と呼ばれるやや複雑な計算を行います。活性化関数はその名の通り、活性化するかしないかを決める、まさに条件分岐のための関数です。

従って、ニューロンという最小単位の本質的は、相転移を後天的に獲得する最小単位の能力を持っているということです。そして、その最小単位が集まる事で、現代のニューラルネットは、知的に高度な処理を行う事ができているのです。

このように、相転移を後天的に獲得できる能力は、非常に強力な能力です。

■生命と知能の相転移の構造

相転移には条件分岐が必要です。そして、脳は後天的に相転移を獲得するための学習能力を持った条件分岐の集合体です。ただし、脳が条件分岐を行っただけで相転移が行われるわけではありません。脳の条件分岐に従って、ホルモンが分泌されたり筋肉が収縮され、その影響として物事のフェーズが切り替わる事が相転移の実体です。

従って、相転移のうち、条件分岐の部分と学習する能力が脳に集約され、実際に相転移を行うために身体を使っていることになります。このように条件分岐と学習という知的な部分は脳に集中し、動作や振る舞いをする実体部分は全身に渡っているというのが、脳と身体を組み合わせた知的生物の相転移の構造になっています。

一方で、脳に依存しない身体のメカニズムや、脳を持たない生物の場合でも、生物は後天的な相転移を行うメカニズムを持っています。脳に依存しないメカニズムですので、これらの相転移は身体に条件分岐の機能があります。そして条件分岐は身体が部分的に行う部分はあるかもしれませんが、大部分は何世代にもわたってDNAが自然淘汰の中で獲得したものです。

このように、後天的に相転移を獲得する能力を持っていると言っても、生物の身体のみの仕組みと、知能を含めた仕組みでは、その基本構造に大きな差があります。知能を含めた仕組みの方が、条件分岐が集約して汎用的に様々な相転移を実現できる点で、利点が大きいでしょう。

■バランスではなく条件分岐への集中

ニューロンは、他のニューロンとの間でバランスを取ったり積極的に協調動作を行ったりしているわけではありません。それにも関わらず、全体として人間の脳や人工知能は一つのまとまりとして上手く動作しています。

このことは、個々の要素がそれ自身の事を中心に考えていても、全体の調和が自然に成立するという事例です。

個々のニューロンは条件に合致する入力が得られれば活性化し、合致しなければ非活性になるという形で活動します。この時、他のニューロンから入力としての影響は受けますが、基本的には事前に学習された条件に従って独立して条件分岐を行います。

人工知能におけるニューロンの動作を理解すると、通常時は単に条件分岐に従うだけであり、学習時にはその分岐条件を変化させるだけあることが分かります。この事は、ニューラルネットワーク型の知能の最小単位は、バランスを取ったり高度な処理を行ったりしているわけではなく、シンプルに条件分岐だけを愚直に行っていることを示しています。

一見、条件分岐を行うこと自体は、生物や知能の高度さから遠く離れた能力に思えます。しかし、条件分岐による相転移が、非生物においては固定的な条件でしか行われない一方で、生物や知能は柔軟に相転移を獲得することができます。

この点に着目すると、単一のニューロンでも実現されている後天的に獲得できる条件分岐という能力が、本質的な意味を持っていると考えられます。

■さいごに:非生物から生物や知能へ

非生物が、後天的に相転移を獲得できる能力を持つとき、それが生物や知能への道を開くと考える事ができそうです。

ここまでに説明した機械学習の仕組みやニューロンの性質は、まさに後天的に相転移を獲得して活用するための仕組みです。そして、非生物であるコンピュータによって実現できるこの仕組みを、私たちは人工的に作る事ができた知能であると考えています。

同様に、非生物的な物質が集まって、化学的あるいは物理装置的に後天的に相転移を獲得する仕組みができれば、それを私たちは人工的な生物だと捉えるかもしれません。

地球の生命の起源においても、何らかの形で後天的に相転移を獲得する仕組みができあがり、生物が誕生することになったはずです。


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