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幸福追求の義務化

私たちは基本的な人権として、幸福を追求する権利を有しています。

ただし、個人の幸福の追求が社会へマイナスの影響を与えるケースもあります。また、個人同士でも、一方の幸福追求が他方の幸福を侵害することがあります。

このため、各自の幸福追求は法律や道徳に従うことが前提となります。また、それでも問題が生じた場合には、第三者による調停に委ね、その結果に従うことも求められます。

このように幸福を追求する権利には、前提となる制限事項があります。時代と共に個人の影響度合いが増加するため、制限事項にも変化が必要になります。制限事項を単に厳しくするだけでは、幸福を追求する権利は時代と共に狭まっていくことになってしまいます。

このため、どのような制限事項を設けるべきかという事は重要な問題となります。このことを考えていくうちに、私は、幸福追求の権利の前提として、幸福追求の「義務」という制限事項を設けるべきではないかという考えに至りました。

この記事では、幸福追求の権利に対する制限事項の考え方について説明した上で、幸福追求の義務のメリットや考え方を説明します。

■個人影響度

ここで、ある社会における個人の幸福追求が社会や他者への影響の可能性の高さや影響の度合いを、個人影響度と呼ぶことにします。

例えば人口密度が低い地域では、自宅で大きな音で音楽を聴いたり、庭で焚火をしても他人に迷惑を与える可能性は少ないでしょう。しかし、人口密度が高い住宅地で同じことを行えば、迷惑になります。人口密度が高い方が、個人影響度は高くなります。

法律や道徳は、その社会の個人影響度に合わせて変化させる必要があります。このため法律や道徳は、個々の社会単位や地域性によって異なるものになります。

■時代の変化に沿った法律や道徳の変化

個人影響度は時代と共に変化します。通常、影響の可能性や度合いは、増加する傾向にあります。なぜなら、経済的な成長や技術の進歩は個人ができることの種類を増やし、度合いを大きくします。

また個人影響度が大きいことは、そのまま集団による影響度も大きくなることを意味します。同じ人数の集団や企業でも、時代と共に個人や社会に与える影響は大きくなります。

このことは、時代が進めば法律や道徳を変化させていくことが必要になるという事を意味します。一般に時代と共に個人影響度が大きくなるため、法律や道徳は個人の幸福追求を制限する方向に強化される必要があるという事になります。

■進歩と制限の物語

私たちは一般に、時代と共に社会は進歩し、それによって個人の幸福も増大するものだと考えがちです。しかし、個人の幸福追求を先ほどのように考えた時、進歩によって幸福が増大する側面と、幸福追求への制限が強化される側面がある事に気がつきます。

従って、個人の幸福追求は、社会的進歩と社会的制限の物語となることが分かります。

■進歩と幸福の関係

社会が進歩することで、社会的制限が強化されるということは、個人の幸福にとってジレンマとなっているように思えるかもしれません。しかし、進歩と幸福への影響は比例関係ではないという点を考慮する必要があります。

幸福という言葉は多義的ですので、ここではメリットという言葉に置き換えます。

一般に、進歩の度合いが低い間は、少しの進歩でメリットは大きく増加します。しかし、進歩の度合いが高くなるとメリットは増加しにくくなります。最終的には大幅に進歩しても、ほとんどメリットが増加しなくなります。

これは食料生産能力について考えると分かりやすいでしょう。初めのうちは食料生産能力が少し向上すれば、それだけ飢えている人を救う事ができます。これは大きなメリットです。しかし、全ての人が安価で満腹になれるほど食料生産能力が高まれば、それ以上能力が向上してもメリットへの寄与はほぼないでしょう。

それよりも、食料を大量に生産してしまう事で、例えば土壌の力が落ちたり、農薬による環境への影響が大きくなるとすれば、そのデメリットの方が大きくなります。したがって、持続可能な農法への転換という制限が求められます。

もし、飢える人が多い段階で、環境負荷が大きな問題になるのであれば、飢えと環境負荷への対策は深刻な倫理的ジレンマが生じます。しかし十分な食料が生産できる状況下では、この倫理的なジレンマはなく、持続可能な農法への転換を進めることが、合理的かつ倫理的です。

このように、個人の幸福追求における、社会的進歩と社会的制限の物語は、進歩と幸福への影響は比例関係にはないということを考慮することが重要です。

■合理的かつ倫理的な制限の探求

食料生産の例で見たように、法律や道徳による制限をかけても、メリットにほとんど変化がなく、デメリットを大きく抑えることができる場合があります。このような制限は、合理的かつ倫理的な制限です。

倫理面を重視して個人の幸福に対して強い制限をかければ、社会的な問題や個人間のトラブルが軽減できるかもしれません。しかしそこに合理性が欠けていれば、社会的な不満が増大して潜在的な社会の不安定性が増加し、それが結果的に倫理も個人の幸福も損なう結果になりかねません。

従って、こうした合理的かつ倫理的な制限を見つけ出し、法律や道徳に組みこんでいくことが、個人の幸福追求の物語のメインストーリーとなります。

■幸福追求の義務

こうした制限として、私は「幸福追求の義務」について検討しています。通常、幸福追求は権利として捉えられています。しかしこれは、幸福の最大化を目指すことと、義務化するという考え方です。

幸福の最大化は、社会的には功利主義で知られている「最大多数の最大幸福」の概念を個人の幸福追求に対しても適用するという考え方です。それは法律や道徳の制限の中で、徹底して自己の幸福の最大化を目指すということです。

幸福追求の権利は、こうした幸福の追求をする権利が私たちにはあり、最大幸福を目指す事も、目指さないことも自由でした。しかし、「幸福追求の義務」は、幸福追及を義務化します。義務という事は、個人が法律や道徳の制限の範囲内で、自己の幸福を目指さないことは、道徳的に問題があるという事です。

■幸福追求の義務のメリット

「幸福追求の義務」という制限が重要となるのは、時代と共に個人影響度が高まっていくことに強く関係しています。個人影響度が高い社会では、幸福追求をしない個人が、社会や他者へ大きなマイナスの影響を与えてしまうという点を強く意識する必要があります。

私たちは、法律や道徳の制限が緩く、かつ個人が十分に幸福を得るための資源や環境が整っていない社会を頭の中にイメージしがちです。このような社会では、個人が自己の幸福を追求することは、他者の権利や機会を奪ってしまったり、環境に悪影響を与えたりするため、倫理的に問題があると考えてしまいがちです。

しかし、個人影響度が時代と共に高まる事で、環境保護や他者の権利保護のための制限はしっかりと強固なものになっていかざるを得ません。実際に公害の問題については時代と共に法律は厳しくなっていますし、地球温暖化への道徳的な配慮の意識は浸透しつつあります。

また、物質的な豊かさの面では、技術開発の進歩の恩恵を受けて、例えば食料生産は地球の全人口を賄う能力があるレベルに達しています。後はそうした価値の分配を上手くすることができれば、地球上から飢えはなくせると言われています。

このため、将来的に、法律や道徳の制限がしっかりと整備され、かつ個人が十分に幸福を得るための資源や環境が整っている社会を想定すると、個人の幸福追求は道徳的に悪いことではありません。

むしろ、そのような社会では、自己の幸福追求を放棄したり真剣に考えない個人による影響が、大きな問題となります。そうした影響を抑えるために、個人の監視を強化したり、罰則を厳しくしたりすることももちろん考えられますが、これらの制限は倫理的なジレンマが大きくなります。

また、社会への忠誠心や、利他の精神を育むための道徳教育を強化することも考えられますが、合理性に疑問符が付きますし、倫理的な問題も懸念されます。

これらの制限に比較して、「幸福追求の義務」は合理的かつ倫理的な制限であることが、大きなメリットです。

■幸福の追求とは何か

幸福とは何かを考える事は難しい問題です。何を幸福と捉えるかは人によって異なりますし、幸福を定義したり型にはめて考える事はできないのかもしれません。

このため幸福追求の義務について考える時、幸福とは何かではなく、幸福追求とは何かを考える方が適切です。

多くの人にとって、幸福とはただ一つの何かを達成する事でも、ただ一つの指標を最大化することでもないでしょう。幸福は人生におけるただ一瞬の出来事でなく、継続的なものとして考える必要があります。また、多面的に様々な指標のバランスを取る物であるはずです。

例えば、スポーツの記録で世界一を目指す事は大きな人生の目標になり得ますが、それを達成したとしても、達成すること自体は一瞬の出来事であり、その後も人生は続きます。また、お金を多く持つことは生活を豊かにしたり将来の不安を軽減するために重要な事ではありますが、経済力を増やせば増やすほど幸福になるわけではありませんし、経済力だけで幸福になれるわけではありません。

このように考えると、幸福追求は人生において継続的に続くものであり、人生における重要な物事を多面的に捉えなければ実践できないことが分かります。

従って、幸福追求の義務という観点から言えば、人生の継続性を考慮しないことも、人生の偏った面だけしか考慮しないことも、どちらも悪徳です。幸福追求の義務を果たすためには、私たちは自分のライフタイム全体を多角的に見渡して、物事を考え、意志決定を行うことが必要です。

■リスク戦略と必要性の原則

自分のライフタイム全体を多角的に見渡して幸福を追求する場合、回復不可能なリスクと、回復可能なリスクに分けてリスク対応を行うことが重要です。

回復不可能なリスクについては、リスクを取ることで幸福の最大化を目指すのではなく、最悪の事態を考慮してリスクを最小化する戦略を採用するべきです。

なぜなら、回復不可能なリスクを取る事は、ライフタイムの後半を犠牲にする可能性を高めます。こうしたリスクを取りながら人生のある面を最大化する可能性を高めても、他の多くの面を犠牲にする可能性が高いためです。ライフタイムの全般的な期間におけるリスクと人生の様々な側面のリスクを把握して、バランス良くリスクを下げることが、幸福を追求する義務に適っています。

回復不可能なリスクと承知しながら賭けを行う場合には、その賭けのリスクとリターンの期待値ではなく、必要性に着目する必要があります。

もし仮に、全財産を賭けたら50%の確率で10倍になるというビジネスチャンスがあったとします。期待値は全財産の5倍ですので、通常のビジネスとして考えれば、合理的にはリスクを取ってチャレンジした方が良いということになります。しかし、必要性に着目するということは、期待値が財産の5倍なのではなく、最悪のケースでは全財産を失う回復不可能なリスクであるという点に着目します。

もしも、このビジネスチャンスを逃すと、幸福な人生を送れないというのであれば、全財産がゼロになるリスクを取ってでも勝負に出る必要性がある、という判断ができます。しかし、現在の財産と収入があれば十分に幸福な人生を送れるという見込みがあるのであれば、これは全く取る必要のないリスクです。

このように、幸福追求の義務の順守のためには、回復不可能なリスクについては、リスク最小化の観点から必要な物だけに限るという、必要性の原則を順守することが重要になります。

一方で、リスクの範囲が限定されており、回復可能なリスクであれば、幸福追求に資するリスクを取る事も有意義です。こうした回復可能なリスクについては、その判断は個人の自由な選択です。

■教育や文化のあり方

幸福追求の義務を前提とした社会では、全ての人に幸福追求のための基本的な学習と訓練を必要とします。そのための社会的な教育の仕組みが必要ですし、家庭や地域社会では、子供たちの幸福追求の能力を高めるために、大人たちへの意識付けも必要です。

現在の教育は、学問的な知識や社会で労働する際に必要となる知識やスキルに偏っています。しかし、ライフタイム全体を見つめることや、人生を多面的に捉えること、リスク最小化や必要性原則といった考え方などを一人一人が身に着けるような教育が、幸福追求の義務を前提とした社会では重要な教育になります。

また、様々な文化や慣習において、個人の幸福追求を阻害する要素をできるだけ軽減していくことが重要です。個人差であるとか考え方の違いを踏まえる必要もあります。そうしなければ、文化や慣習が各自の幸福追求の義務を阻害してしまう事になるためです。

これらは現在の社会においても重要な観点ですが、幸福追求の義務が課せられることで、より確実に導入される教育や文化のあり方となるはずです。

■さいごに

幸福追求の義務を前提とすると、個人間の競争よりも協力が促されるはずです。なぜなら、人間関係も幸福の重要な一側面であり、競争関係よりも協力関係の方が人間関係を豊かにするためです。

加えて、競争関係により恨みや妬みを買うことは、人生に予期せぬ無制限リスクを増やしやすくします。反対に協力関係により信頼や友情を育んでおけば、一人では解決が困難なリスクに直面した際に有力な援助を受けることができる可能性が増えます。

また、残念ながら個人により幸福追求の能力や結果には差があります。それは先天的であったり、後天的なものであったり、周囲の環境や好みや選択した戦略の差であったりもするでしょう。

競争を中心とする社会では、能力の高低で人間の価値が決まるというような価値観が生まれやすくなったり、結果が悪いことを他者の責任にする考えに至りやすくなったりします。

一方で協力を中心とする社会では、お互いの能力の差を補い合うことで結果の差が生じにくくなりますし、能力で人間の価値を測る機会も少なくなります。また、結果が悪くても他者の責任に帰するような考え方も少なくなる可能性があります。これは個人影響度の増加に伴う社会全体の不協和音の増幅を抑え、より個人が幸福を追求しやすい社会環境を形成する基礎となり得ます。

幸福追求の義務は、個人の能力や性格の差や、人生における選択の自由を全面的に認めるという点で、人間中心で自由な社会を保証します。その上で、個人影響度の増加に対して、合理的かつ倫理的に制限を強化することで社会全体のリスクの効果的な軽減を目指します。

このようにして、幸福追求の義務が、社会の安定と個人の自由を対立ではなく上手く相互作用させる原理となる可能性があります。

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