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退屈と飽き:アクセルとブレーキによる進化の加速

この記事では、飽きと退屈という人間の特性について掘り下げた上で、その概念を抽象化することで、生命の起源における有機物の化学進化の世界への洞察を得る試みを行います。

■飽きが来るということ

単に生存だけを考えれば、生存に必要な行動を繰り返す事ができればよいように思えます。しかし、人間には不思議なことに、行動や思考がブレたり変化したりするような特性が組み込まれています。

その最たる例が、飽きる、というメカニズムです。

食事の場合は、同じ食べ物を食べ続けることに飽きることで、別の食べ物を食べたくなります。これにより栄養バランスという知識がなくても、自然に多様な栄養素を摂取することができます。それよりも前の段階としては、潤沢に確保できる食料に飽きることで、新しい食糧を探すモチベーションが高まるという点もポイントだと思います。これにより、リスクマネジメントの考え方を持たなくても、自然な価値で多様な食糧源を確保できるようになったと考えられます。

日常的な生活における活動にも、この飽きるということの効果で、同じ動作の繰り返しが苦痛になります。それは活動の手順や度合いに変化をつけて新しいやり方や丁度良い方法を見つけるきっかけになります。また、全く別の活動をしたくなることで、新しい発見や発明が起きる可能性を高めます。

■飽きの法則

よく言われる洞察としては、刺激が強いものは初めは反復的な欲求が強く繰り返し求めたくなりますが、比較的早く飽きが来やすいという話があります。食べ物では、味が濃かったり、短時間で満足度が高まるような油や糖分の高い食べ物が、比較的飽きがすぐに来るというのは実体験としても頷けます。

一方で、飽きがきにくいものも確かに存在します。食べ物であれば主食であるご飯やパンは、毎日・毎回食べても、あまり飽きることはありません。もちろん、別の物を食べたいという気持ちは沸きますが、それは主食に飽きたというよりも変化を求める気持ちに基づいているように思えます。

この日常に変化を求める気持ちは、低刺激な状態が継続することを拒否する、退屈というメカニズムです。退屈は飽きと似た役割を持つメカニズムですが、飽きは特定の対象に対するとは違って、退屈は特定の対象を持たないことが特徴です。

また、いわゆる奥が深いと言われる趣味的な分野や学問分野の探求も、人によってはずっと飽きずに続けることができます。

これらの観察から、主に以下の法則があるように思えます。

1.刺激が強いものの場合:刺激が強いことで、最初の頃は強くその刺激を欲求する気持ちも強くなる。しかし、その刺激が毎回単調である場合は、比較的短時間で飽きが来やすい。ただし、刺激が強めであっても、毎回新しい発見があるような奥深さがあれば、長く飽きずに欲求し続ける傾向にある。

2.刺激が弱いものの場合:刺激が弱いものは、飽きがきにくい。ただし、刺激が弱い分、繰り返し欲求するという欲求は限定的になる。習慣化しているなどの理由がなければ飽きとは関係なく辞めてしまうこともある。また、その行為や対象への飽きではなく、退屈という別のメカニズムにより、強い刺激を求めて、別の行為や対象を探すようになる。

■退屈と飽きが、人類を宇宙へと導いた?

このように整理すると、人間は、退屈のメカニズムによって刺激を求め、飽きのメカニズムによって刺激の多様性を求めるという特性を持っていると言えます。これにより、人間は一定の範囲での行動や食料や、その他の文化やエンターテイメントだけで満足せずに、広範で深いところにその刺激の源を求めるという貪欲さをもっているのでしょう。

これは、食料の確保に限らず、未開の地の探索、知識の探求や技術磨きなどの面でも同じように機能しているメカニズムです。このメカニズムが適切に機能してきたことで、人類は多くの食料やエネルギーを手に入れ、陸上の隅々まで生活圏を広げたのでしょう。また、学問と技術の広い探求は、新しい食糧やエネルギーの獲得、そして陸上にとどまらず深海や宇宙にまでその活動範囲を広げつつあります。

そう考えて見ると、この人間の驚くほどの発展には、退屈と飽きというメカニズムが強く関与してきたと言う事ができそうです。

■退屈と飽きのメカニズムを抽象化する試み

飽きというメカニズムが多様な活動の原動力になっているという予測から、私はこの飽きるという現象の考察を開始しました。その目的は、このメカニズムを抽象化した概念が生命の起源、つまり有機物の化学進化の過程においても、何らかの共通点があるのではないかという期待からでした。共通点があれば、そこから生命の起源の探求に新しい洞察が得られる可能性が出てきます。

退屈と飽きのメカニズムは、明らかに人間の脳の働きが関与しており、それと同じことが有機物の化学進化にもあったと考える事はできません。そこで、人間の脳の働きを必要としないところまで、退屈と飽きのメカニズムを抽象化して、有機物の化学進化でも共通点が見いだせないかを検討していきます。

■退屈はアクセル、飽きはブレーキ、あとはハンドルが方向を切り替える

抽象化して考えると、新しい刺激を求めるという意味で、退屈はアクセルを踏んで前進を促す役割を持っていると考えられます。退屈によるアクセルがなければ、人間の進歩はもっとずっと遅く、あるところでじっと止まって落ち着いていたかもしれません。

飽きは、同じ方向に進み続けることをやめさせるブレーキです。特に、ぐいぐい前進しやすい道では、比較的すぐにブレーキがかかるようです。このブレーキがなければ、人間は確保した食料やリソースをすぐに消費してしまい、常に自転車操業のような生き方を繰り返していたかもしれません。また、面白い遊びや趣味が見つかったら、全員でそれに没頭して、イノベーションやフロンティアの開拓なども遅々として進まなかったかもしれません。

最後に、アクセルによる前進エネルギーをブレーキがかかってしまう方向以外に切り替えるためのハンドル(steering wheel)が必要です。これは人間の好奇心や気まぐれがその役目を果たした可能性があります。

このように、アクセル、ブレーキ、ハンドルという概念まで抽象化すれば、人間の脳の働きがなくても、有機物の化学進化の中でも同様の仕組みを想定することができそうです。

■有機物の化学進化における、アクセルとハンドル

有機物の化学進化において、私は有機物のスープのモデルを前提に考えています。太古の地球上の水たまりの中に有機物が堆積して、それが化学反応を繰り返して進化していったという考えです。

有機物のスープ内の化学進化を促進するアクセルは、有機物のスープの外部から供給されるエネルギーや新しい有機物です。これらが有機物のスープに与えられることで、化学進化が促進されます。外部から供給されるエネルギーは太陽光や太陽熱、地熱などです。

有機物のスープ内のハンドルは、様々な環境変化でしょう。水たまりの中の水の対流、地球の水の循環による水たまりへの水や有機物の流入と流出、昼と夜や四季の変化による温度変化など、さまざまな環境変化があります。これが、有機物のスープのアクセルに対して、「気まぐれ」に進む方向の切り替えを行う作用をしていたと考えられます。

残る問題は、ブレーキです。

■有機物の化学進化におけるブレーキの仮説

まず、有機物のスープにエネルギーや新しい有機物が供給されると、化学反応が起きてさらに新しい有機物が生成されていくと考えられます。しかし、エネルギーが枯渇したり、加工の素になる有機物が足りなくなったり、あるいは生成された有機物がスープの中で飽和すると、化学反応が停止します。これはブレーキとして作用します。

ここまでの話は、化学の一般論として説明できる範囲です。そして、ここからは、私の仮説の色が濃厚になりますが、さらに以下のように考えることができるのではないかと思います。

上記だけをブレーキだと考えると、人間の飽きの考察で述べていたように、リソースをすぐに使い果たしてしまって常に自転車操業を余儀なくされます。有機物の化学進化でも、上述のブレーキしかなかったとしたら、常に有機物のスープは単調に飽和状態や資源枯渇状態を迎えてしまい、柔軟で多様な化学進化が起きるためのハンドルによる方向の切り替えとして、毎回ある程度ドラスティックな変化(例えば有機のスープの水の流入や流出など)を必要とします。

もしかするとそれでも長い年月をかけて有機物の化学進化が進行したと考えれば済むのかもしれませんが、私はもっと巧妙な仕掛けがあった可能性も検討したいのです。

一つ考えられることは、有機物のスープの中で、特定の有機物がある程度生成された時に、それ以上の生成を抑止するような別の有機物が現れるような仕掛けが発現するという現象があったのではないかと推測します。全ての有機物のスープで最初からそのような仕掛けが発現したとは思えません。しかし、地球上の多数の有機のスープの中には、そういう仕掛けが発現したことで、他の有機のスープと比べて短時間の化学進化が可能になった可能性が考えられます。

先に述べたように枯渇や飽和による自然ブレーキに頼る有機のスープは、ドラスティックな変化までハンドルが切られるチャンスがありません。一方で、自発的なブレーキの仕掛けが発現した有機物のスープは、ドラスティックな変化がなくても、もっと日常的変化(水の対流や昼と夜の切り替わり)でも有機物の進化のハンドルが切られた可能性があります。これにより、高速な化学進化が行えるようになった有機物のスープが、進化の先頭を走るようになった可能性があります。

更に化学進化が進んで、複雑な有機物が生成されるようになると、高度に連鎖した有機物自体が、何らかのカウンタのようなものを持つようになり、それも化学反応を一定の回数ところで止めるブレーキの役割を担った可能性も考えられます。そうした仕掛けの応用、多細胞生物の胚が分裂する際に適切な回数で単純分裂をやめて(ブレーキ)、別の分裂の方向に分裂を進める(ハンドル)ような仕掛けにもみられると思います。また、有機物のカウンタによるブレーキの仕掛けの名残が、生物の寿命を決めるメカニズムにもみられる仕掛けなのかもしれません。

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